Books: はりま伝説 / 埴岡 真弓(文)・堂野 能伸(イラスト)(2013)

 

 

城下町姫路や播磨一円に昔から伝わる不思議な話、怖い話、笑い話、ちくりと風刺のきいた話です。神戸新聞で連載中のうちから80話と、書下ろしの20話がまとめられています。

播但線福崎駅の駅前観光交流センターで購入しました。立ち読みついでに立ち寄ったのですが、柳田國男の故郷ということで、ついつい手が伸びてしまいました。

ここ最近、播磨地方の神社巡りをしていることもあり、神社の由緒など知っておくとより一層参拝が楽しくなります。播州地方といえば、当然、姫路城ないしは城下町の言い伝えが多いです。自分も幼少期は、姫路城の東側、五軒屋敷付近の一軒家に住んでいたらしいので、地元のことをよく勉強するのも悪くないかと思いました。

インド、仏教関係では、「アショカ王の仏塔が飛来」(姫路市白国増位山)、「行基とすりばち池」(姫路市伊伝居)、「吉備真備と牛頭天皇」(姫路市広峰嶺山)、「薬師山の石仏」(姫路市山畑新田)、「桜の木と天人」「奥の院の歌塚」「若き日の弁慶」「正月に舞う鬼」(姫路市書写)、「夜啼地蔵」(姫路市安田)あたりの記事が参考になりました。

秋祭り関係では、「飾磨の御幸橋」「手折った梅の枝まつる」「清水薬師の霊水」「片葉の葦」(恵美酒宮天満神社)、「老医の天神信仰」(浜の宮天満神社)、「菅家栄えて榊も茂る」「敷物は綱」(加茂神社/津田天満神社)、「英賀神社のご神木」(英賀神社)、「荒川神社の由来」「玉手長者の財宝」(荒川神社)、「蒲田の狐」(蒲田神社)、「ウスキという地名」「魚吹八幡神社の起こり」「神功皇后の腰掛け石」「津市場の火祭り」(魚吹八幡神社)あたりの記事が参考になりました。

ここでは、網干周辺のお話をひとつまとめておきます。網干周辺は、古くから漁業が盛んで、江戸時代には丸亀藩京極家の飛び地領、網干陣屋があったことでも有名です。魚服八幡神社(津宮の提灯祭り)は、現代でも有名です。播州の祭りらしく荒々しさも売りですが、乗り子の衣装や屋台の彫刻の豪華さなど雅な一面が見られます。漁村の荒々しさと、農業・漁業・酒造り・製塩で栄えた豊かさを象徴しているようにも見えます。魚吹の語源は、「イススク」だそうです。その意味は、「驚きあわてる」から来ています。神功皇后が、余部区上河原から朝鮮半島目指して船で出発したところ、急に天気が悪くなって、御津町新舞子あたりで、一度、陸に船を寄せました。その時に、一人の女性が自分の赤子を皇后に差し出そうとして、うっかり海に落としてしまいました。その女性が、驚きあわてた(イススク)ことから、うすきから転じて、魚吹という地名になったとのことです。網干は、大昔は、揖保郡石見里の一部だったということで、朝鮮から帰ってきた神功皇后が社殿を立て、祭りを行ったところ、無数の魚が皇后の船を背中に乗せて浅瀬を往来して感謝をしたという伝説があります。当時は、網干、太子、御津あたりは海や川も今よりずっと広く、陸地、河川、砂地の境界線も曖昧だったのでしょう。