Books:  The Hound of the Baskervilles / Sir Arthur Conan Doyle

 

ケーブルテレビでジェレミー・ブレットの『シャーロック・ホームズの冒険』の一挙公開していました。この作品は、古典的名作で語り尽くされている感もありますが、ファンの間でも人気が高く、その一方で、小説自体に謎もあり、まだまだ奥が深いものだと思います。コナン・ドイルが『最後の事件』(1893年)でホームズをライヘンバッハの滝に落として死んだことにしてしまってから、約8年後の1901年に発表された長編小説で、いわばドイル自身にとっては復帰作品でもあります。

ここには、宿敵モリアーティも登場せず、時代設定もライヘンバッハ以前の事件簿であり、小説の描写から1889年の事件と考えるのが自然ですが、他の小説との間に矛盾があり、愛読者の間ではいまだに謎の多い小説です。熱狂的な人気を誇ったホームズ・シリーズに1893年で一区切りをつけたドイルは、実はスランプに陥っていたのではないかという説もあります。当初、ドイルはホームズとは無関係の物語をジャーナリストの友人と共著で発表しようとしていたそうですが、その友人が辞退したため、ホームズを主人公に設定し直して書き直し、雑誌に投稿しました。モリアーティが登場しないのはそのためかもしれません。ただし、依頼人でヘンリーの主治医モーティマーと、モリアーティの類似点が多いことが指摘されるなど、シャーロック・ホームズの原型は読み取れます。

2012年に放送されたベネディクト・カンバーバッチ主演の『SHERLOCK(シャーロック)』のシーズン2・エピソード2【バスカヴィルの犬(ハウンド)】では、モーティマー医師は、ヘンリーのセラピーをする女性ですが、主治医なのか単にセラピーをしているだけなのかなど詳細な立場はわかりません。黒幕フランクランド博士とは仲が悪そうに描かれていました。いずれにせよ、『SHERLOCK(シャーロック)』において、心理カウンセラーや精神科医というのは、重要な役割を担っているようです。ヘンリーの抑圧された過去を思い出させるという行為は、後々シャーロックの記憶の書き換えに気づかせることの伏線になっています。ちなみに、原典で登場する博物学者のステープルトンは女性遺伝子学者、訴訟好きのフランクランド老人はアメリカ帰りのウイルス学者にそれぞれ置き換えられています。

SHERLOCK(シャーロック)』は、原著の現代的解釈であり、イギリス人特有のアイロニーとサーカズムとも取れる設定が多々あります。今までの映像化で登場が省略化されがちがったレストレード警部が序盤からしっかり登場させているところにはニヤッとしてしまいました。シャーロックが、ジョン(ワトソン)に先入観を与え、遺伝子組み換え研究所のラボ暗室にジョンを閉じ込め、凶暴化した猛獣に襲われるかのように音声のみによりジョンを追い詰めた場面は、人間の思い込みの怖さ(非科学的な妄信)という意味ではジョンやヘンリー、視聴者への教訓にも観て取れるのですが、後々、「犬」がRed Beard(赤髭)というシャーロックの幼い頃の愛犬の記憶のすり替えにも繋がるようにも思えます。あくまで、シャーロックは、「Dog」ではなく「Hound」という言葉に反応したのですが。原作では、シャーロックが事件に捜査においては観察力に優れた頭脳明晰な主人公として描かれるのに対して、『SHERLOCK(シャーロック)』では、まるでシャーロックのセラピーの物語であり、因縁のモリアーティではなく、妹ユーラスの手の平で弄ばれる一人の男の子です。ユーラスは、シャーロックの弱いところばかりつつきます。例えば、天文学の知識がないところや女性に興味がないところなど。最終的には自負する観察力の高さにも自信をなくさせます。ホームズの行う手法は論理的推論(アブダクション)と言われますが、過去の抑圧された記憶との向き合う際には、相当苦戦します。人相を調べてその人の気質や性格を明らかにし,さらにたどるべき運命も予測しようとする経験的な知の体系のことを人相術,観相学(術)というそうですが、原作ではモーティマーがホームズの頭蓋骨の形に非常に興味を持つところなど、その時代の風潮が観て取れます。『SHERLOCK(シャーロック)』では、ユーラスが演じる娘フェイス(カルヴァートン・スミス)の外見を見誤ります。この点も一種のサーカズムかもしれません。

原作では読者としてホームズの推理のキレの良さにカタルシスを感じるのですが、『SHERLOCK(シャーロック)』ではシャーロック(ホームズ)がことごとく翻弄され、なし崩しにされる様子をみると、視聴者としては、鋭い観察力、科学的帰納、論理的推論、観相学(術)といった、いわゆる論理万能主義の危うさすら感じて、不安にすらなります。そこにあるのは、人間の不完全さであったり、愛情と嫉妬の表裏一体の怖さも垣間見るのかもしれません。凶悪で複雑怪奇な事件といえども、探っていけば個人の様々な劣等感(コンプレックス)であったり、自己肯定感の不足だったりするということでしょうか。しかし、『SHERLOCK(シャーロック)』にも救いはあります。ドイルのあの時代の原作があるからこそ、そこに立脚する形でさらなるドラマが展開できたのだと思います。