Books: Bhagavad-gita As It Is / Swami Prabhupāda and A. C. Bhaktivedanta (2010)

 

 

Text 2.47
karmaṇy evādhikāras te
mā phaleṣu kadācana
mā karma-phala-hetur bhūr
mā te saṅgo ’stv akarmaṇi

 

TRANSLATION
You have a right to perform your prescribed duty, but you are not entitled to the fruits of action. Never consider yourself the cause of the results of your activities, and never be attached to not doing your duty.

和訳:あなたの職務は行為そのものにある。行為の結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また職務に無為に執着してはならない。

『バガヴァッド・ギーター』では、何か行為をする場合、その結果を動機とすべきではない、ひたすら行為そのものに専念せよと教えています。一方で、「ヨーガは平等の境地である」と定義されています。『ヨーガ・スートラ』には、「ヨーガとは心の働きの止滅である(第1章第2詩句)」と定義されており、いくつかの段階を一つずつ踏むことにより、究極的にはサマーディ(三昧)という非常に深い精神統一の状態に入ることを意味します。「サマーディ」は、「共に置く、一緒に置く」という意味があり、あらゆるものが渾然一体となった、平等となった状態をあらわす語であると解釈できます。行為の結果に執着せず、成功も失敗も平等にみることができる心の在り方の重要性が説かれています。そのためには、行為の結果を自分に起因するのではなく、絶対者(主、クリシュナ、神、梵、イシュワラ)に委ねてしまうことが必要になります。

 

Text 9.34

man-manā bhava mad-bhakto
mad-yājī māṁ namaskuru
mām evaiṣyasi yuktvaivam
ātmānaṁ mat-parāyaṇaḥ

Engage your mind always in thinking of Me, become My devotee, offer obeisances to Me and worship Me.  Being completely absorbed in Me, surely you will come to Me.

和訳:私にマインド(心、意)を向け、私を信愛せよ。私に平伏し、私を崇拝せよ。私に専念し、専心すれば(融合すれば)、あなたはまさに私に至るであろう。

ヨーガには「結合」の意味があり、絶対者と自己(真我)を結びつけることでもあります。常にマインド(思考)を主に向け、愛を込めて結びつくことを願いなさい。そして、すべての行為をクリシュナに捧げる祭祀として行い、クリシュナを礼拝し、クリシュナに専念して自己を結びつけなさい。主に対して完全に自分を平伏させる(引き渡す)、すなわち自分の中にある真我と絶対者が一体化することが最終目標です(梵我一如)。