Books: 昭和50年男 2021年11月号

 

私は、実はSFが好きなんだと最近になって自覚するようになりました。例えば、本誌でも紹介されている作品も多いですが、映画では、『ブレードランナー』、『トータルリコール』、『マイノリティ・リポート』、『マトリックス』、アニメでは、『AKIRA』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『攻殻機動隊』、『ふしぎの海のナディア』、ドラえもんの劇場版、『銀河鉄道999』、マンガでは、宮崎駿の『ナウシカ』、手塚治虫の『火の鳥』、石ノ森章太郎の作品、荒木飛呂彦の『ジョジョ』、小説では、星新一シリーズ、鈴木光司の『リング』、ジュール・ヴェルヌ海底二万里』あたりは、小学生の頃から中学生の間には観たり読んだりしていましたし、一時期離れていた頃もありますが、今再び鑑賞しています。私が高校時代から大学時代にはまったヘヴィメタルでもSFはよく扱われるテーマですし、マイケル・ジャクソンのパフォーマンスや音楽もSFやホラーとの親和性は高かったと思います。

福岡伸一氏、瀬名秀明氏、平野啓一郎氏、竹内薫氏、宮台真司氏、養老孟司氏といったアカデミックな分野にいる方々が、アニメ世界について学者目線で分析しているのも私がかつて好きだったものに対して壁を作る必要がない理由でもあります。

大学院で昆虫の捕食寄生者に興味を持ったのも、マンガの『寄生獣』の影響があったのかもしれません。寄生者が宿主を操り自分の利益だけを優先させる行動を取るところから始まるのですが、そのうち、寄生者が宿主の生命を守る行動を取り始めます。やがて、お互いの利益につながるような関係、すなわち「共生」を考えていくようになります。人間が悪なのか、パラサイトが善なのか、はたまたその逆なのか。共存の道はないのか。そういった哲学的な自問自答が繰り返されます。個人目線からすれば寄生なんてされたくない、でも地球全体の大地の負担という意味では増えすぎた種である人間とは、他の生物の生存を脅かしてはないか。

アイデンティティの揺らぎ、自分と他者の境界線とは、生命の価値とは、といった答えのなさそうな問いを考えるいう意味では、SFはもっとも哲学的な芸術作品なのかもしれません。

 
 
 
 
 
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