Study: 荒川神社 町坪の狭間彫刻を鑑賞する

源頼朝、洞穴に身を隠す(南側の狭間彫刻)

源平盛衰記』では、源頼朝石橋山の戦いに敗れて平氏から身を隠した。たまたま大きな倒木があったので、その洞(ほら)に隠れて八幡大菩薩に祈念する。追っ手がその洞に弓を突っ込んでかき回す。弓が頼朝の鎧に当たって音がした瞬間、1羽の山鳩が洞から飛び立った。「中に人がいれば鳩がいるはずはない」と、追っ手は引き返した。頼朝は木に隠れたおかげで万事休すとなった。

一方で、他の情報では、頼朝が隠れた場所が、しとどの窟と言われる。その洞窟は、神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋にある。

ただし、狭間彫刻のほとんどは、朽木の洞に身を隠す頼朝が描かれている。


観るポイント:朽木の洞穴に隠れる頼朝。頼朝を探す平氏の侍たち。

 

猛将・佐久間玄蕃盛政、秀吉を襲う(北側の狭間彫刻)

佐久間玄蕃盛政は、豪勇をもって知られ「鬼玄蕃」などと呼ばれた。柴田勝家豊臣秀吉の対立がはっきりしてくると、盛政は勝家方として動き、賤ケ岳(しずがたけ)の戦(滋賀県長浜市)では、大岩山で秀吉方の中川清秀を討ち取っている。このとき勝家はすぐ兵を引くよう命じたが、盛政はそれに従わず、急ぎ救援にかけつけた秀吉本隊との戦いとなり、結局、秀吉方の圧勝で、盛政は生け捕られた。

観るポイント:猛将・佐久間盛政は、右手に鉄棒を引っさげ敵陣に躍り込み、群がり来る敵兵をなぎ倒し、秀吉本陣目指し、一参に突き進む。鉄棒を振りかざし、馬に乗る佐久間が勢いよく敵陣に突き進む様子が描かれる。

 

源平合戦・生田の森の戦い(東側の狭間彫刻)

源平合戦の名場面のひとつ。平家の主力部隊・平知盛、重衡らが率いる平家軍が陣を張り、源氏の主力部隊・源範頼軍を迎え撃った場所。かつての生田の森は、現在の生田神社(兵庫県神戸市)から一ノ谷にまたがり、北は崖の厳しい山、南は海という天然の要害だったのだという。生田口には畠山重忠梶原景時をはじめとする源氏軍5万騎が布陣。源氏軍は、先陣を切った高直・盛直の兄弟が討死するなど死傷者が続出する中、梶原景時・景季父子が「梶原の二度懸け」と呼ばれる奮戦を見せた。「いかに源太、景時がここにいるぞ。同じ死ぬにしても、敵に後ろを見せるな」と、親子2人で5人の敵の3人を討ち取り、2人に手傷を負わせ、「弓矢取りは、駆けるも引くも、折にふれてのこと。いざ引け」と、景季を連れて退却した。

観るポイント:侍親子が奮闘している様子が描かれる。

 

曽我五郎時致、大礒へと向かう(西側の狭間彫刻)

父の仇を討つため、矢の根を研いでいた曽我五郎時致が砥石を枕にうたた寝をしていると、兄・十郎祐成が、工藤祐経の館に捕らえられているので、助けて欲しいと夢に告げた。即座に飛び起きた五郎は、通り掛かった大根売りの馬子から馬を奪い、曽我より大磯へと駈け出す。
観るポイント:曽我が大根売りの馬子から馬を奪うシーンである。曽我が馬を走らせ、馬子は突然の出来事で、馬の手綱を握りしめたまま引きずられている。

観るポイント:曽我が大根売りの馬子から馬を奪うシーンである。曽我が馬を走らせ、馬子は突然の出来事で、馬の手綱を握りしめたまま引きずられている。

 
 
 
 
 
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