Books:  こころの読書教室 / 河合隼雄(2006)

 

河合隼雄さんによる書籍の紹介。カフカドストエフスキー村上春樹よしもとばななの作品から、ユング十牛図茂木健一郎学術書、児童文学・絵本まで幅広く、「こころ」の観点から読み解かれています。「読まな、損やでぇ」とご本人も関西弁で推薦されていたものばかりです。

村上春樹の「アフターダーク」の解説では、まさに無意識の世界が描かれており、しかも作者自身はユングの論文など深層心理学の前提知識がないままに自分自身の体験で書いているところに注目されています。「ねじまき鳥クロニクル」に関連して、「癒し」について言及されていて、「この音楽、聴いたら癒されます」「これを食べたら癒されます」といった感じで、浅い癒しがもてはやされる嫌いがありますが、本当に深くなってくると、ものすごいことが起こらないと変わらない。しかし、音楽や食事でも癒されることもあるので、一概には言えない難しさもあると言われています。

村上春樹の小説は、結論がよくわからなかったとか、ハッピーエンドじゃななかったということで、嫌われるところもあるようです。人間というのは、内面にも外面にも理想がうごめいているもので、物語を読んでいても、こうなってほしい、こうなってほしくないってのがあるから、飽きずに見たり、読んだりとコミットし続けられるところがあります。しかし、村上春樹の小説には、どうみても好きになれないキャラがいて、とても悪いことをしているのに、バチみたいなのが与えられず、何事もなかったかのように、突如、姿を消してしまったり、物語が終わってしまうことがあります。読者は後味が悪いままです。この点を、河合氏は、我々の心の中で起こっていることというのはそう簡単に解決できるものではなくて、未解決のまま置き去りにされるものだといいます。小説中では、知的に物事を円滑に効率的に処理してしまう人が設定されており、こういった人物が後味の悪さを読者に与えています。これらの登場人物は、「頭」で考える人を象徴していると解釈ができ、「心」で感じたりしている人とは対比して描かれます。「頭」の人は、とても無機質で、未慈悲にも見えます。現代人を象徴しているとも言えますし、読者の理想を投影をうまくかわしているも言えます。この辺の村上節と言いますか、反面教師っぷりが個人的には好きです。

ただし、頭で考える物語がよくないわけではなく、世界中に伝わる昔話やお伽話というのは、人々の理想が描かれているから残っている。読んだり聞いた人々が、苦労は報われるとか、結婚をしようとか、子どもを作ろうとかって思い始める。話の展開はとても単純化されていて、表面的にも答えがわかりやすい。しかも、深く深く掘り下げると、心と密接に結びついています。村上春樹の小説は、心で生じたことだけを描こうとするから、すっきりしない感じになっており、読者は頭で考えて答えを引き出そうとしたり、単純化して何が言いたいのかって要約しようとすると、上手くいかないので、イラッとしてしまう。「シンデレラ」といった古くから広く人々に親しまれている物語は、「頭」で単純化しやすいところもあり、万人に共通した感動を与える部分、すなわち純粋に「心」を感動させる部分もある、ということです。

河合隼雄さんは、すでにお亡くなりになっておりますが、数学の才能のある天才肌の人で、元々は日本嫌いだったそうです。ヨーロッパでユングの研究を突き詰め、やがて日本に帰って、改めて日本の昔話やお伽噺に内在する深い部分の構造について研究します。一般の人々に対しては、「こころ」をキーワードに、語り部として、また聞き上手な人としても、社会に貢献されてこられました。頭で心がどこまで理解できるかって研究して、やがて心は心なんだと自分自身で悟られたんだと思います。長く語り継がれる物語には、何か共有したものがあり、それは頭と心の訴えかけるものがある。でも、すべての人は同じように感じるわけではなく、個人差があり心の多様性のようなものはある。理論として普遍化できるところ、一方で多様なものは多様なものとして引き受けなければならないところ、その狭間を上手にバランスを取っておられたのだと思います。