Books: よくわかるヒンドゥー教 / 瓜生 中(2022)

 

本書は、タイトルの通り、初心者にもヒンドゥー教をわかりやすく解説したものです。インドにはまっている人、ハタ・ヨーガの熱心な実践者、ヴェーダの真髄を極めようとしている人には、もしかすれば、イラッとするくだりもあるかもしれません。

私は、複雑なことを簡単にしたり、膨大な情報量を簡潔にまとめるのは、ひとつの技術だと思うので、こういった入門書が好きで、ついつい手を出してしまします。「イラッとする」という感情は、もしかすればその人の弱さの顕れかもしれません。

BBCドラマ「シャーロック」では、宿敵モリアーティが、シャーロック・ホームズに対して、

I'm your weakness!(おれは、お前の弱さだ!)

と、恫喝します。コナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」のパロディドラマである「シャーロック」は徹底したホームズ弄りであり、そのサーカズムが独特の面白さを醸しています。シャーロックの弱さがことごとく露呈させられます。ホームズの強みである高い思考力(アブダクション/推理)が、彼を自分の弱みから目を背けさせるために発達したようにも解釈できる展開でした。

サスペンスドラマ、特に、イギリスのミステリーなんかを観ていると、結局は、人間の弱さが仇になります。その弱さは、誰かへの偏った愛情や、モノや過去への執着から来る場合がしばしばあります。しかし、その弱さの顕れを描き出すことこそが、ドラマや物語の真髄であり、観るものが感情移入できる一面でもあります。

インド哲学サーンキヤ学派では、人生は「苦」であり、苦の原因を追求してそれを取り除き、解脱の達成を目指します。苦とは、「わたしは存在する」とか「これはわたしのものである」といった、物質的なモノに執着する意識、自我意識により生じると説かれています。目の前に現出するものは水面や鏡に映った映像と同じく実在するものではなく、幻影です。この幻影を取り除くためにヴェーダの学習やヨーガの実践が勧められています。ヨーガとは、常に揺れ動いている心(マインド)を統一することです。流行りのアクロバティックなヨーガは、超能力の獲得を目的としたハタ・ヨーガの流れを汲むもので、正規のヨーガとは一線を画します。

さて、本書ですが、私はとても楽しめました。読後感としては、現実世界の出来事、ドラマの展開に一喜一憂する自分ってなんだろうと反省させられました。

以下に、特に大事だと思った箇所を抜粋しました。

インド哲学(六派哲学)の発展には仏教哲学が寄与した。
六派哲学をはじめとする哲学各派の諸説は、仏教哲学から論破され、それに応える形で自説を発展させました。インドでは、アーリア系バラモン教起源のヴェーダ聖典の権威を認め、哲学研究が行われていました。共通するところは、輪廻からの解脱を最終目標としつつも、解脱に到達するまでの方法論の違いによって、多様性が生まれました。

聖典「プラーナ」は大衆向けの物語であり、ヒンドゥ教の普及に大きな役割を果たした。
聖典「プラーナ」は、ヒンドゥー教の百科事典的役割を果たしており、ヴェーダ聖典が上位階級のみ学ぶことができるのに対して、「プラーナ文献」は、物語(昔話)として階級を問わず誰でも楽しめます。ヒンドゥ教徒じゃなくてもインド人じゃなくても読むことが許され、かつヴェーダの真髄に触れることができる有難く、開かれた書物です。
そのため、プラーナ文献がヒンドゥ教の普及に果たした役割には計り知れないものがあります。

・「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」から哲学や倫理が学べる。
歴史や出来事を綴った単なる叙事詩ではなく、主人公をはじめとする様々な登場人物の高潔な振舞いや、逸話の中に深遠な哲学思想や倫理的志操が表れています。

・ヒンドゥ教徒の菜食主義はアヒンサー(不殺生)に基づく。
不殺生の思想が仏教を通じて日本にもたらされた時は、聖徳太子の時代であったが、斎戒日や殺生禁断の地などが設けられていました。その後も、鎌倉時代禅宗が伝えられると、精進料理が整備されました。もともと獣肉を食べる習慣があまりなかった欧米化前までの日本人の食生活によくマッチしました。

・釈迦の徹底した平等の精神と慈悲の心は、死を覚悟で施しの食べ物を拒否しなかったことに現れている。
釈迦は亡くなる前、貧しい鍛冶屋のチュンダという青年の招待を受けてスーカラマッタヴァというものを食べたといいます。これは豚肉か、キノコと考えられており、これが原因で食中毒になり、激しい下痢と嘔吐に苦しみ3ヶ月後に亡くなったと伝えられます。釈迦は、食べると食中毒になることはわかっており、他の弟子や仲間には食べさせませんでした。施されたものは何でも喜んで食べなかればならないという戒律の趣旨をも守り抜きました。

・ヒンドゥの神々からはアニミズム的な素朴な一面が垣間見られる。
世界中の宗教の原初的な段階はアニミズム聖霊崇拝)です。古くから山や川、樹木や岩、太陽や水、風、火、鳥獣などが神として信仰されてきました。日本の神道にも、アニミズム的な信仰があり、その点でもインドの神々が持つアニミズムの一面と親和性があります。インドの場合、アーリア系由来のバラモン教が、インド亜大陸において非アーリア系の民族に広まる中で、土着の信仰の神々と融合していったと考えられます。日本の祈願の仕方と似たところもあり、祈願ごとに祭神が変わります。例えば、雨乞いの祈願のときには水神が、戦勝祈願には戦闘の神が呼び出されます。時と場合によって変化身(アヴァターラ)を現します。祈願ごとに祭神が変わる信仰形態を「交替神教」とも呼ばれます。ただし、インドの寺院では一つの祭祀には一つの神であり、複数の神が呼び出されることはありません。その意味では、ヒンドゥ教には一神教多神教の側面があると言えます。