Film:  地獄の黙示録ーファイナル・カット(2020)

 

 

地獄の黙示録」は、高校時代にWOWOWで観て、当時もよくわからなかったですが、「ファイナル・カット」を改めて観てもやはりよくわからなかったです。わからなくても仕方ないと思うのが、フランシス・フォード・コッポラ監督自身も、当時、撮影途中でわけがわからなくなるほど難しく深淵なテーマに挑んだ意欲作だからです。

本作「地獄の黙示録」をはじめ、コッポラ作の他の作品「ゴッドファーザー」、「ドラキュラ」には、共通点があるように思います。主人公が仲間や家族を守るために行なった行為が引き金となり、リベンジとして自分の大切なものを奪われたり、純粋に愛するものを失った反動で、生写しの美しい女性に執着したり、身も心も捧げていた組織の矛盾と狂気を目の当たりにし、自分の理想の王国を築き上げたりと。因果応報から抜け出せなくなる、まさに地獄絵図でありますし、試練の連続と孤独との闘いです。

地獄の黙示録」では、ベトナム兵たちはアメリカ政府のことが信じられなくなり、本国に帰れないかもしれない、帰っても英雄どころか戦犯扱いされる。元グリーンベレーのカーツ大佐も志の高い軍人でありながら、戦地での矛盾、暴力、狂気を目の当たりにし、精神的におかしくなり、悟りを開き、カンボジアのジャングルの奥地に王国を築きます。そのカーツ大佐を暗殺するために送り込まれた主人公ウィラード大尉も同じ道を辿り、ミイラ取りがミイラになるがごとくの結末。

ゴッドファーザー」では、ファミリー間での抗争から、内輪での不信と対立、腹心の暗殺、そして兄弟間の不信から肉親の暗殺、他ファミリーからの報復として孫の暗殺という悲劇の応酬が続きます。

「ドラキュラ」では、ドラクルは、誤報による最愛の妻である妃エリザベータの投身自殺に絶望し、ドラクルは神への復讐を誓い、血を糧に生き長らえる吸血鬼と化します。ドラキュラ伯爵は亡き妻と瓜二つの女性・ミナと出会い、「オペラ座の怪人」のごとく、ミナに執着します。

ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の「プロとコントラ」(ラテン語で「肯定と否定」の意味とのこと)の章を読んだ時に、コッポラが映画で描きたかったことがわかったような気がしました。無神論者のイワンと敬虔なアリョーシャは、水と油のように正反対ですが、実は秘めているもの、根は同じと考えたからです。

端的に言いますと、善人も悪人も紙一重で、大きな出来事ひとつで、どのようにでも人生を形成していくということです。特に、「ゴッドファーザー」のマイケルのようにファミリー思いで情に厚い真面目な人間、「ドラキュラ」のドラクルのように愛を信じ、純粋な心を持った男、「地獄の黙示録」のカーツ大佐のように高邁で組織に尽す人間のように、極端から極端への振れ幅が大きくなります。

コッポラの映画がやはり映画だと思うのが、主人公自身がアクションを起こすところです。カラ兄では、イワンはそそのかしはしますが、自らは手は下しません。アリョーシャも、一貫して無垢です。

でもやはり、地獄の黙示録はすっきりしない作品だと思います。カーツ大佐の王国と言いながらも、秩序だった王国ではなく、ジャングルに人が集まって生贄とか捧げるシーンが映し出されており、原始的な社会に見えます。カーツ大佐を暗殺した主人公ウィラード大尉の物語の序盤から最後までの存在感のなさや思想のなさも、メッセージ性に欠ける気がします。もしかすれば、人間は、無政府の状態に還るが自然だというメタファーかもしれませんが、それなら、むやみやたらに動物や人間を生贄にはしないのでは思いつつも、原始宗教ではそういう儀式も行っていたので、現代のアメリカから離れた人間は、その反動でジャングルの奥地で原始宗教を始めるという意味かもしれません。とても野蛮な社会に見えるのですが、アメリカ人がベトナムでやっていたことと、どちらが野蛮か?というアンチテーゼかもしれません。カーツ大佐は、現地で詩を朗読して聞かせたりしています。これもまたアメリカの現地兵が、慰問に訪れたプレイメイトに興奮する姿と、どちらが文化的で知的かという皮肉かもしれません。

「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」("I love the smell of napalm, in the morning.")は、キルゴア中佐の台詞だったのですね。ラテン系のノリがいい味出していると思います。カーツ大佐の近くにいるデニス・ホッパー演じる報道写真家もなかなかいい味だしています。もしかすれば、コッポラ自身は、キルゴアや報道写真家に自身を投影したのかもしれません。

この映画にインスピレーションを受けて書かれた曲があります。その歌詞にはこうあります。

There's a conflict in every human heart

And the temptation is to take it all too far

In this war things get so confused

But there are some things which can not be excused

どんな人間の心にも、葛藤がある。

そして誘惑に負けてしまうこともある。

この戦争では、物事はとても混乱している。

しかし、言い逃れできないことがあるんだ。