Books: すごい神話ー現代人のための神話学53講 / 沖田瑞穂(2022)

 

文学作品、漫画・アニメ、映画、日本神話、インド神話など、一見、共通点なんてなさそうな物語の根底に、共通する何か、すなわち「構造」を発見することは、相当な想像力と分析力を必要とし、その「構造」が見つかった時には、この上ない喜びが得られると同時に、それがとんでもない妄想でもあるかもしれないという不安にも駆られます。

創作物の世界だけでなく、現実の生活でも、縁起を担いだり、逆に、忌避するものがあります。日本人は「死」と同じ音である数字の「4」を嫌いますが、欧米のキリスト教圏では、4つの福音書が世界の四方に伝えられる救いの数字として「4」が好まれたり、裏切りの使徒が「13」番目であることから「13」を避けたり、自然界で比較的少ない数字「7」をラッキー7あるいは神秘的な数字と考えたりと、縁起を担ぎ、不吉なものを避けようとすることがあります。

私も、地元の祭りのことを趣味も兼ねて調べるうちに、日本の神話の面白さを感じたり、古代インドの聖典・経典などを勉強するうちに、登場する人物・神・悪魔たちやその出来事は、何か偉大なエネルギーの現れであったり、何か重要なことを象徴し、教訓として、人々に語り告げているのかもしれないと思い、熟考できるように努力しようとしています。キリスト教聖書や仏教の経典も読んだりするのですが、ここでも色々と考えさせられることがあります。

遺伝子工学の実験では、DNAは、ATGCの4つの塩基対があり、AとT、GとCが対になっており、転写されたAUGCは、3つが1単位(コドン)となってアミノ酸に翻訳されます。ここでは、4あるいは3の数字が1単位になっています。

本書は、世界中の神話を読み解くことで、異なる時代の遠く隔った場所で発生した神話や昔話、言い伝え同士の間に共通点を見つけ出し、考察しています。所々で、現代の文学や漫画・アニメ、ゲームとも比較しています。

例えば、数字には神秘的な力があることを考察しています。日本では、一般に「八」が末広がりであることから、「8」は縁起がよい数字ですが、スサノヲのヤマタノヲロチ退治神話には「8」がよく出てきます。世界の神話や昔話には「3」という数字が頻出します。冒険に旅立つ3人兄弟、英雄に退治される3つの頭の怪物など。

3については、インド神話から解き明かしができるかもしれません。サンスクリット語の文法では、「3」は、最小で最初の複数だからです。法のダルマ、実利のアルタ、愛欲のカーマは人間の3大目標とされており、この3つで一組となっています。他にも、聖典「バガヴァッド・ギーター」や哲学書「チャーンドーギヤ・ウパニシャッド」には、「グナ」が出てきます。これは人間を構成する3つの要素であり、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)です。人間はこの3つを必ず備えていますが、サットヴァが優勢な人は死後天界へ行き、ラジャスが優勢な人は死後再び人間に生まれ、タマスが優勢な人は動物などに生まれるとされています。インド神話には、「トリムールティ」という三点一組があります。三神一体説で、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァによる3つ組みです。この三神は宇宙の最高原理が姿を変えたものとみなされます。

このようにインドの神話や思想の根底には「3」という安定した数字があり、この「3」に1が加わって「4」の価値観が現れる。例えば、ダルマ、アルタ、カーマの人生の最大目標には、後に「モークシャ」(解脱)が加わりました。生きている間にダルマ、アルタ、カーマの目標を成し遂げ、その後、死んで輪廻の輪から抜け出し解脱に至るというものです。バラモン教も、バラモンクシャトリヤ、ヴァイシャがあり、そこにシュードラが加えられたとします。時代区分の「ユガ」は、クリタ・ユガから始まり、トレーター・ユガ、ドゥヴァーパラ・ユガ、そしてカリ・ユガという4つの時代が巡る宇宙的な時代のことです。3の倍数の「9」、「18」は、マハーバーラタが全18巻より成り、バガヴァッド・ギーターは18章から成り、ヴィシュヌの化身クリシュナが死んで天界へ還る戦争の36年後です。

旧約聖書のノアの洪水は、成立年代や描写から、メソポアミアの「ギルガメッシュ叙事詩」からの影響を受けた可能性が高いとされます。さらにギリシアの洪水神話も影響を受けて成立したとされます。

現実社会でも、似たもの同士は意識しあい、ライバルになりやすいということがありますが、ゲームや神話、現代文学の世界では主人公と宿敵が同一化することがあります。これを、「敵対者同士の一体化と同属性」と呼びます。ゲーム「パズドラ」ではインドの神であるインドラが、ドラゴンの姿をしています。神話では、インドラは蛇の怪物ヴリトラを倒した神で、宿敵関係です。

インド神話マハーバーラタ」では、英雄アルジュナと異母兄弟カルナは敵対関係にあり、両者優れた弓取りです。もう一人の英雄ビーマの宿敵はドゥルヨーダナですが、両者優れた棍棒使いです。

現代文学ハリーポッター」シリーズでは、ハリーと宿敵ヴァルデモートの対比は有名な構図です。ハリーは蛇語を話スノは、ヴァルデモートの魂の一部がハリーに入ったことの影響です。ヴァルデモートが肉体を取り戻す際に、ハリーの血を使いますが、この際にハリーの母リリーの守りの力がヴァルデモートに流れ込みます。蛇語とリリーの守りが、ハリーとヴァルデモートの間で、それぞれ交換され共有されます。

神話においては、女神は生み出す存在であると同時に殺さねばならない責任があると解釈されています。ギリシアの原初の女神、大地のガイアには、子や子孫の神たちに愛情を注いで庇護したが、あるときその愛を一転させて憎しみへと変え、恐ろしい敵と化しました。愛を注ぐものと、死へと導くものという両義性があります。

ラーマーヤナ」では、猿神のハヌマーンが、ラーマ王子の妃シーターを探すために勢いよく空中を飛翔していると、醜く恐ろしい羅刹女の姿を取ってハヌマーンを食べようとしました。しかし、ハヌマーンは巨大な体を親指サイズにまで縮めて、その口の中に入り、そこから飛び出しました。これに類似した話がもう一つあり、シンヒカーという羅刹女に食べられそうになった際には、自らシンヒカーの体内に入り、鋭い爪で彼女を切り裂いて出てきました。この神話はハヌマーンの死と再生の物語であり、通過儀礼を意味していると考えられます。

インド神話「乳海攪拌」では、ラーフという名のアスラが神に変装してアムリタを飲み始めますが、喉まで達した時に、太陽と月がそれに気がついて神々に告げます。ヴィシュヌはラーフの巨大な頭を円盤で切り落としました。

スマホゲームのFGOの女性サーヴァント「キングプロテア」という巨大な身体を有したキャラがおり、宝具という必殺技「アイラーヴァタ・キングサイズ」を持っており、その関連作品では、その大きな指でひょいと少年をつまみ上げて自分の口の中に放り込みます。「呑み込む」行為は、乳の海に敵を沈める仕草は、乳海攪拌神話を背景にしているとも見て取れます。

インドネシアのセラム島ウェマーレ族に伝わる神話のハイヌウェレは、祭りの最中に村人たちが地面を掘って作った穴に落とされて殺されてイモになる話ですが、種芋を分断して土に埋めるイモ栽培が神話化したものであるとされます。これは日本神話のオホゲツヒメやウケモチの話とも類似していることが指摘されています。

同じウェマーレ族の話に、ラピエという死んで月になった少女の話があり、ラピ絵は用便の最中に沈み月となる話です。フランスの人類学者レヴィ=ストロースによると、粘土と大便の関係は、技術と生理それぞれの円環の出発点と終点に位置する考察が引用されており、粘土は地中から掘り出され、成形され、火にかけられて中に食物を入れる土器になる。その中に入れられた食物が火にかけられ、体内で消化されて最後に排出されたのが大便です。

その意味では、円環の始まりと終わりが交錯する場所である「トイレ」という場所です。「トイレの花子さん」のような怪談が生まれたのも、突拍子もないことではなく、「コチラ」と「アチラ」の境界に位置する場所かもしれません。現代でも、用を足すだけでなく、「化粧室」と呼ば、一息ついたりする場所として利用されるのは、「ウチ」と「ソト」の境界の名残が深層心理に働いているのかもしれません。