Books: ジョジョの奇妙な冒険 / 荒木飛呂彦、関島眞頼、山口 宏(1993)

 

ジョジョ漫画の特徴である「スタンド」とは、その人の思考、想い、情念、魂など生命のエネルギーが、外部で特定の形をとったものです。選ばれし者にしかスタンドは現れず、基本的にはその使い主自身を守るために本人が操作することで守護神の如く振る舞います。

しかし、第3部「スターダストクルセイダーズ」では、承太郎の母のホリィに芽生え始めたスタンドは、彼女の許容力を超えていたため、外部には現れず、内部から彼女の生命を脅かすことになりました。

「スタンド」は、人間の心の複雑さをうまく表現していると思います。特に、悪の化身DIOに見初められた(つけ込まれた)人間は、往々にして、社会で差別を受けたり、あるいは正義に裏切られたり、愛情が不足していたり、人生で深く傷ついた経験(トラウマ)を抱えています。その負のエネルギーの結晶体である敵スタンドたちは、これでもかというくらいに次々に現れ、どれも非常に粘着質で、承太郎たちの行く手を阻み続けます。

その「スタンド」たちですが、どこかエクストリーム・メタルに似ています。どうしようもない心の葛藤であったり、苦しみや嘆きが、情念として形をとり、魂が宿ります。まるで音楽そのものが生き物のように、聴く人の前に現れます。Dir En Greyの『UROBOROS』(ウロボロス)(2008年)は、中東の民族音楽を取り入れており、ちょうど、ジョジョの第3部はエジプトのカイロが最終目的地になっており、そこで繰り広げられるバトルが、Dir En Greyのこのアルバムの世界観にマッチしています。

本小説で登場する敵キャラのアブサロムとミカルの兄妹のトラウマを知ると、とても気の毒な経験をしています。怒りのやり場を失ったアブサロムです。誰が正義で、誰が不正義かわからなくなります。強いていうなら、各人が自分の中に敵を抱えているということでしょうか。

機械文明批判や政治批判、東西冷戦の最悪の結末、あるいは明るくない未来を予見した手塚治虫石ノ森章太郎松本零士宮崎駿の昭和時代の作品は、非常にウィットに富み、深淵なテーマを扱ったものばかりで、とても考えさせられる内容であります。

荒木飛呂彦ジョジョシリーズは、平成・令和のリアルタイムの漫画であり、未来の予想図でもなく、文明批判や体制批判でもないです。しかし、何かパーソナルなところに届くメッセージがあります。それは、漫画に登場するキャラが敵味方にかかわらず、内面でのトラウマや怨念を秘めているからでしょう。

文章を書くのに長けた人なら、小説として描くでしょうし、音楽が得意な人なら、音で表現したかも知れません。絵が上手で、ストーリー構築ができる荒木氏は、それをダイナミックな絵として立ち上がらせ、類まれな物語を展開させています。

こういった小説、漫画、音楽は、人が創った物語、すなわちフィクション(架空の物語)ではありますが、リアル(現実的)さを感じずにはいられません。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」(夏目漱石 三四郎より)

「人の頭の中は、広い」と言わせたのは、夏目漱石ですが、夏目漱石の小説にも、特に晩年の作品になるほど、どうしようもない人が次々に登場しますが、これもまた人間の情念を描いたリアル(現実)と思います。スーパーヒーローとは真逆のどこにでもいそうな人間たち。でも、とても根が深いものを抱えており、彼らに知らぬ間にがんじがらめにされる主人公。

人生とは、「苦」とはよく言ったものです。ジョースターの血族のスタンドは、先祖からのカルマですし、DIOにつけ込まれた人間は、「強くなりたい」、「社会を見返してやりたい」、「世界を征服したい」という「強い欲望」を利用されたサイコパス(社会的変質者)と言えますし、それは「弱さ」が露呈したことになります。

承太郎たちにとって、敵スタンドとは、「苦しみ」や「試練」を象徴していると言えます。第3部は、言うなれば、負のエネルギーとなって結晶化した良からぬ想い(情念)を打ち砕く修養の旅のようです。読者は、自分の情念がもしスタンドとして出現したら、どんな姿・形で、どんな能力なんだろうかと思いながら読み進めることになります。

 

open.spotify.com