Books: Burrn! 10月号臨時増刊 METALLION Vol. 74 / 奥野高久編集(2022年)

 

かつて私も胸を焦がした「メロディックデスメタル」、通称「メロデス」は90年代中盤あたりに一世を風靡し、密かにシーンを盛り上げていましたが、当時は一部の雑誌ではその良さは認められつつも、シーン全体ではあくまで異端な存在(変異体)という扱いでした。

しかし、「下手くそなヴォーカルのヘヴィメタルを聴くくらいなら、デスメタルの方がよっぽどか、正統派メタルを体現している」と豪語するコアなファンもいたのは事実です。当時正統派のメタルの雄Iron Maiden、Judas Priest、Ronny James Dioが迷走したのも大きいです。正統派メタルの第一線が不安定でした。

やがて、デス・ヴォイスも一つの表現方法として、エクストリーム・メタル系で普及するに従い、デス・メタルの定義も広がりました。

よって、今では、「メロデス」というタームは、ほとんど死語のようになっていますが、それはメロデスが滅亡したのではなく、長い年月を経て、メタルの概念が広くなったことにより、狭義の「メロデス」の概念では捉えられない音楽が増えました。

そんな中で、Arch Enemyをはじめ、In Flames、Dark Tranquility、Soilwork、At The Gates、The Haunted、Carcass、Amon Amarth、Amorphisといった北欧のスウェーデンフィンランドを拠点に活動するバンドやミュージシャンらには脈々とその伝統が受け継がれており、旧来のファンも納得する音作りを披露してきました。

ただし、その音楽性の多様性は高く、デスメタルを基本としながらも、クリーンボイスを使ったり、アメリカのオルタナティヴ系のエクストリームメタルやNu Metalからのエッセンスを取り入れつつも、オーセンティックなメロデスの良さを体現し続けてきました。

メロデスの聖地とも言える場所があって、それは、北欧はスウェーデンイエテボリです。In FlamesDark Tranquillity、At The Gates、The Huntedを生み出した都市です。本誌では、Dissection、Grotesqueのバンドも含めてイエテボリ・スタイルとしてレヴューされています。

デスメタルというのは、本来ノイジーな音作りが基本であるが故に、なかなかBGMとして気軽に流せるものではなく、ましてやカフェや作業場などで流されることも、想像できません。

あまり馴染みのない人が聴くと、どうしてわざわざこんな歌詞も聴き取れないような音楽を聴くのか、演奏するのかというところですが、これもまた「慣れ」によります。デスヴォイスにも好みがあります。ギターのリフにも心地よいリフがあります。

微妙な違いではありますが、マニアというのは、微妙な違いを楽しむものです。それがなくても生活はできるけれども、それがあることで人生が楽しくなる。日々の生活に潤いが出るといった生活の質を上げてくれるのが趣味と呼ばれるものだと思います。

Burrn!編集部の奥野高久編集者がフォローする音楽シーンは自分のストライクゾーンの音楽をレヴューしてくれる方で、同誌の前田岳彦編集者の感性もいいのですが、奥野氏はよりダークなところをカバーしているので本当に深すぎます。若干着いていけないほどです。

Arch Enemyも、In Flamesも、日本ではBurrn!誌が盛り上げたようなところがあり、デビュー当時はArch Enemyあたりでも、実際にBig in Japanであったとマイケル・アモットは回顧していますが、今となっては全世界で絶大な人気を誇っています。

私も、メタル専門のCD屋さんで、「In Flamesありますか?」って聞いたら、店長のおじさんが、「あんなものどこがいいの?」って吐き捨てるように言われました。当時はそういう扱いでした。でも、そのおじさんたちも、きっと、私と同じような感じのことを若い時に言われてきたでしょう。メタルはいつの時代も「キワモノ」です。

そもそもロックってそうものだと思います。ファッションと同じく、螺旋を描くようにブームは来て、去ってしますが、少しずつ進化するのが、音楽というものだと思います。

メロデスというのは、「メロディックデスメタル」のことです。この音楽のいいところは、ヴォーカルがメロディに逃げられないところです。通常のメタルであれば、ヴォーカルがメロディのラインを作っているので、バックの楽器との間で和音を作る必要があります。

しかし、和音やスケール展開とて、無限にバリエーションがあるわけではなく、むしろ、売れるコード進行というのがあるくらいで、ミュージシャンは確信犯的にそのコード進行を上手に操ります。

デスメタルの場合、ボーカルラインがほぼ一定の音域であるため、バックの楽器との立場が平等ないしは、バッキングを引き立てる立場になります。これは、バッキングに埋もれているという意味ではなく、むしろ、バックを引っ張りながらも、後押しする一人二役的に存在になっています。

では、メロデスの「メロディ」は何が作っているのかと言いますと、ギターです。ギターのソロがメロディアスを奏でています。ギターソロであったり、リフであったり、アルペジオであったり、誤解を恐れず言うなら、ギターが引っ張る音楽であると言えます。メロデスバンドでも、途中くらいから、ヴォーカルがクリーンヴォイスで歌うようになるバンドも増えましたが。元々、正統なクラシック音楽を幼い時から学んでいるメンバーも多く、意外にマルチプレイヤーも少ないないのが北欧の教養のある国の土地柄です。

特に、In Flamesのイエスパー・ストロムブラードというギタリストもマルチプレイヤーで、ギターこそ主の楽器ですが、他にもベース、ドラム、キーボードを演奏しています。彼の音楽の懐は広く深いです。彼のギターの演奏は、いつ聴いても、彼の演奏だとわかるくらい独時です。ギターが歌うために、ヴォーカリストがリフを刻んで、パートを繋いでいるようにも思えます。

エスパーのバンドほど、ギターのリフが歌っているバンドはそうないと思います。曲を聴いていると、早くギターのパート来ないかなと思うほどです。そのうちに、ヴォーカルとギターのリフのユニゾンが心地よく感じられ、曲全体が盛り上がってきます。ここに、デスメタルバンドの醍醐味があります。バンドとしての「ノリ」が出せるか出せないか、もっというなら、「ただの雑音か」、「正統な音楽か」を分けるところです。

音の壁が迫り来るような怒涛の轟音を求めるリスナーとしては、ボーカルを引き立てるために演奏するバンドよりも、バンドが奏でるノイズが渾然一体となった状態の方が、求めているものに近いです。そういいながらも、グラインド・コアまで行くと、制御がなくなり、統一感に欠けると感じてしまいます。

メロデスファンは、家でヘッドフォンなんかで聴いている人が多いのではないでしょうか。ライヴももちろん足を運ぶでしょうけど、特に日本のファンはインドアなイメージがあります。海外では、野外フェスなんかで、会場で暴れているファンたちの映像をよく見かけますが。

ライヴでは、メロデスのライヴは圧巻の一言です。メロディに酔わせる叙情的な要素と、轟音であるデスメタルの要素が同時に襲いかかってくるのですから、しっとりとメロディを嗜みながらも、熱く拳を突き上げるという相反する感情に塗れてしまいます。

その意味では、Arch Enemyは、ファンが欲しているものをよくわかっていると思います。マイケル・アモットのコンポーザーとしての才能は、誰しもが認めるところで、痒いところに手が届く曲つくりでありながら、正統派のメタルファンも納得するようなギターのリフとソロ、そして、ライヴでの盛り上げ方です。

きっとマイケル・アモット自身がメタルファンなのでしょう。Arch Enemyは元々人気のあったバンドですが、Voが、Angela Gossowに交代した頃から、さらに人気が高まり、今は本誌表紙も飾っているAlissa White-Gluzに交代してから、音楽性の幅が広がったと思います。

Halo Effectのメンバーは全員が元In Flamesです。Mikael Stanneは、Dark TranquilityのVoとしての歴画長いので、そのイメージが強いですが。デス・ヴォイスのクリーン・ヴィオスも、どちらも美しいというのがMikael Stanneの特徴です。ややトーンは高く、やや細いため、中性的な印象もあります。私は、In FlamesのJesper Strömbladの大ファンだったので、彼が関わるアルバムは買い集めていました。もっとギターソロを弾いてほしいというのが願いですが、それほど弾きまくる感じではなく、少し出し惜しみな気がする人でもあります。

At The Gatesも名盤「Slaughter of the Soul」以来は、再結成まではアルバム出さなかったですし。伝説のバンドDissectionも、活動期は長くなく、フルレングスアルバムは2枚(再結成で+1)だけです。

私はメロデスに出会わなければ、ここまでメタルを深掘りすることはなかったと思います。一時期、離れたこともありますが、それは、こういった音楽が精神状態に悪い影響を与えているかもしれないと、真剣に悩んだからです。今思えば、逆でした。

メロデスは歌詞は聴き取れませんが、歌詞を読んでみると、内的な感情を描写したものが目立ちます。社会で起こっている不平等や武力による奪われた命など、そういうものに対するやり場のない憤りや葛藤を歌詞にしています。もちろん、Dissectionなんかは、神と悪魔という深淵なテーマに挑んでおり、悪の方に傾倒するかのようなスタンスですが、動機として哲学的にとても深淵なテーマであり、そういったことに感性の鋭い若者たちが音楽を通じて自分の感性を信じて音楽として表現するに至ったと思います。身も心も音楽という魔物に捧げてしまったかのようです。評価は分かれるかもしれませんが、こんな美しい音楽がこの世にあるんだと私は衝撃を受けました。


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