内的世界への探求―心理学と宗教 (ユング心理学選書) / ジェームズ・ヒルマン

〜自分との付き合い方
哲学っていうと,理性,論理,あるいは概念といったイメージがつきまとうし,実際,論理的に筋道立てて考える必要も多々あります.
ただ,何を知ろうとしているか,何に迫っているかがやはり本質で,意識やその認識過程,記憶について深く掘り下げようとした場合,ベルクソンなどの主張では,感情の占める位置が無視できないし,身体を中心に考えていると思うのです.
西田幾多郎ベルクソンの主張を要約しているように,

実在を知るには,これは直観するの外ない.概念を再び組み立てて元の実在に達しようとするのは到底不可能である.死物よりして活物はできない.(西田幾多郎ベルクソンの哲学的方法論「思索と体験」収録 岩波文庫」)

”自己をただ自己として直観する”というのは,最近よく言われる「内部観測」にあたるのではないでしょうか.
心理学は科学なのかどうかって話は議論が絶えないような気がします.フロイトユングの著作も一種の物語であると言えばそうかもしれませんし,ユングの元型論は構造主義と言ってもいいのかも知れません.
しかし,僕はユング派の学者ジェームズ・ヒルマンの「内的世界の探求」を読んでみて,自分に耳を傾ける方法は,ちょうど内部観測するといったニュアンスに近いものを感じました.
例えば,

無意識が,自己流のやり方で好きなときにやってくることを許容する.
好奇心は,疑いと不確かさの感情から湧き出してくるものである.人は,経験を確かめるためには,自信をもつより他人を見出す必要がある.

好奇心によって自分を他者を詮索することは,理論の枠に強引に当てはめることであり,知性は心を圧迫することになるといった意味だと思います.
・・・
結局今回も落ちがつけられない中途半端な理解ですが,自分との付き合い方について,もう一度考えてみる必要があるかもしれないと思い始めています.