忘却〜フリードリッヒ・ニーチェ

He who forgets is cured.
忘れる人は,癒される.
- Friedrich Nietzche (German philosopher, 1877-1900)

永井均さんのニーチェ論を読んで感動しました.そして影響を受けました.それで,以下にまとめてみました.ほとんどレジメといっていいくらい抜粋しまくってしまいました.アクの強い研究者の論評から入ってしまうと,どうしてもオリジナルを読むときにフィルターがかかってしまい偏った見方をしてしまう可能性が高いです.しかし,僕はもっと楽観的に読書の仕方を考えていて,これも一つのきっかけだと思っています.茂木さんのエッセイを読んで,小林秀雄夏目漱石を読もうと思えました.ある人の文脈の中で位置づけられたある人の文脈を読むことは,はたして自分にとってどのような影響を及ぼすのでしょうか.
ニーチェ的なルサンチマンとは,例えとして,葡萄に手が届かなかった狐が,「あれは酸っぱい葡萄だったのだ」とごまかすことではなく,「甘いものを食べない生き方こそが”よい”生き方だ」と自己を正当化するための転倒した価値意識が生れることだと述べられています.誰にでも日常的に,妬み,羨み,恨みなどの感情により否定から出発する価値観の転倒はあり得るのかもしれません.しかし,ニーチェが問題にしているのは,そういった個人的なものではなく,ヨーロッパの文脈の根幹にある巨大なルサンチマンであると強調されています.すなわち,キリスト教道徳に対して他の追随を許さないほど緻密な議論を行ったのだと.敵を愛するという倫理を貫いたこと偉いのではなく,偉さの概念を変えたことが「偉い」のであると.
一方で,ルサンチマンを克服する唯一の方法が示されているといわれます.それは,「忘却」だと解釈されています.また,ニヒリズムを超える問題は,ルサンチマンの克服の問題と同じ構造をしていると.
ニーチェは,人生に意味がないことに耐えて生きてゆかなければならない,などという辛気臭いことを言っているのではなく,むしろ,意味のなさこそが我々の悦びの根源であると言っているとされます.「永遠回帰」とは,主張ではなく祈りなのではないか,私の生とこの世界を,外から意味づけているのではなく,私の生とこの世界そのものを,それ自体として内側から祝福する祈りであると.
引用文献:永井均「これがニーチェだ」講談社現代新書(1998),「ルサンチマンの哲学」河出書房新社(1997)