幸福論 / 寺山修司

幸福論 (角川文庫)
他人の本棚を見るのってなんだか見てはならないものを見ているような気がしてしまうのは僕だけでしょうか.僕は今は一人暮らしですが,実家にいたときは家に本棚があって,おそらく父か母が読んだであろう書物が並べてある棚がありました.
ある時,文庫本の背表紙に”寺山修司”という文字を見つけました.そして母に尋ねてみました.「お母さん,この人の影響を受けて僕の名前をつけたん?」と.答えは,曖昧でした.どちらかと言えば,Noに近かったような気がします.ただ,寺山修司の本が数冊あることと,母が読んでいたことは事実のようです.
なぜか今になって古本屋でふと目についてしまったので買いました.「幸福論」です.
いきなり,アランの「幸福論」批判が目に留まりました.論調も批評というより,やつ当たりのようなストレートな文体です.

だが,中年の男は運命を肩にかついで立ち去るのではなく,立ち止まって自分の運命に念を押しているのである.人間の運命が袋につまっていたらどんなにいいことだろう? ましてそれを背負って立ち去ることが出来たとしたら,カフカの「なぜ人間は,血のつまったただの袋ではないのか」という嘆きも聞かないで済む.しかし,私たちは,平原に投げ出された袋のように,投げ出されている自分の運命をえらぶことはできない.私の運命は私の肉体なのであり,この二つをきりはなしてしまうと,この論文もまた従来の「幸福論」の二の舞をふむことになるのである.
マッチの箱の中のロビンソン・クルーソー「幸福論」より 寺山修司 角川文庫