雪 / オルハン・パムク

雪
主人公はKa(本名,ケリム・アラクシュオウル)というイスタンブルの上流階級出身の詩人のトルコ人です.政治的理由から,ドイツで12年間亡命生活をしていました.このKaが,トルコの東の果て,アルメニアと国境を隔てたカルス(Kars)へ旅に出ます.名目は,新聞記者としてカルスの市長選挙とモスレムの若い女性の自殺の真相を調査するためです.しかし,これは建前であるというのは,Kaがカルスに着いてからの行動を見ればすぐにわかります.実は,学生運動時代に恋心を寄せていたイペッキという女性に会いたかったのです.当初は,イペッキに会って,自分の気持ちを打ち明けるだけがKaの目的だったのかもしれませんが,偶然か,必然か,カルスで,複雑な人間関係,そして事件に巻き込まれていくのです.


まず,Kaの心を左右するのが,イペッキの妹カディフェです.イペッキ,カディフェの家族は元はイスタンブルの上流階級なので,トルコ共和国政教分離,西洋化の流れに乗っていた人たちですが,父親と娘二人でカルスに移ってきてから,父トゥルグットは,政教分離を掲げて市長選にでることになり,姉妹二人の心や考えにも変化が訪れます.特に,カディフェに関しては,イスラム教へ改宗するのです.そのカディフェの心を動かしたのは,イスラム主義者を組織化する過激派指導者“紺青(Blue)”というカリスマ性のある男です.そして,これは物語の核心部分なのですが,イペッキも実はカディフェよりも先に“紺青”と関係を持っていたのです.
物語は,Ka,イペッキ,カディフェ,そして“紺青”のそれぞれの想いや考えが複雑に織り合いながら展開していきます.著者は,種々の人格に自由に語らせる手法を用いています.
スリリングなストーリーの中でも個人的に興味を持った点を挙げます.




1.Kaのカルスの住人に対する応答
ドイツで長い間生活し,西洋の文明や思想を体験した,そしてイスラム教徒でないKaが,カルスという寂れた田舎で,イスラム教徒が多いが,トルコという国の一部であるがゆえに,政教分離・西洋化の流れに翻弄されつつある町を訪れた時に,住人から問われたことに対する返答の仕方はどのようなものだったのでしょうか.このことによって,著者のイスラム教への考え方や西と東の違いが垣間見られるのではないだろうかと思いました.


Kaは,イスタンブル出身で,ドイツのフランクフルトで生活していましたが,ばりばりの近代化された西洋人ではありません.ドイツに亡命していた時も,まともにドイツ語が話せず,生活するのに支障のない程度の仕事をしながら,ひっそりとマンションで過ごしていたと述べています.だからなのか,もともとカルスに来た動機もはっきりしないのもあってか,カルスでは西からきたインテリと思われて様々な批判を受け,答えを要求されることに頻繁に直面したにも拘わらず,はっきりとした見解を示すことはなかったです.どちらかと言えば,ありがた迷惑な感じで受け答えをします.学生時代は血の気の多い思想家だった語っていますが,今の彼の思想における優柔不断さゆえに,不運な事件に巻き込まれたり,最後にはイペッキの心も離れさせてしまいます.Kaは,独りでいることが長すぎたのかもしれません.イペッキとカディフェの複雑な心模様を読み取ることができなかったのですから.
その一方で,彼の内面では,自分の中で欠けてしまったものを知りたいという苦悩が渦巻いており,それを突き止めようとすることに必死だったのだと思います.しかし,それが何であるかは,亡命中も,カルスでイペッキに会ったときも,また再びフランクフルトへ戻ってからも突き止めることができなかったのです.ただ,彼に残されたものは,カルスにいた時に得た「詩」と,それが到来したという「事実」だけでした.




2.カディフェのイスラム教への改宗の真相
政教分離を支持していた家庭出身のカディフェがイスラム教へ改心したことには,著者のどのようなメッセージがこめられているのでしょうか.
物語の終盤で“紺青”はトルコの軍に捕らわれます.“紺青”を助けるために,カディフェは劇場の舞台の上でスカーフを取るのです.モスレムの女性が大衆の前で頭のスカーフを取ることは,アラー神への背信を意味します.しかし,彼女はカルスに住むモスレムの女性を代表して,ある意味では国に屈服することを声明することを決断したのです.しかし,これは,愛する“紺青”が捕虜になっている状態から救うためです.
初めからイスラム教に入ったというよりは,“紺青”に惹かれてといった方がよさそうなカディフェの改宗ですが,彼女の芯の強さはこの小説の中で一番でしょう.次女らしく勝気なところもあります.
カディフェも,モスレムの女性としてカリスマ的存在として支持されていたものの,それは,一種のスカーフのようなもので,実は内面は,やはり“紺青”に恋する乙女であったのではないかと思います.これは難しい問題ですが,なぜカディフェは,“紺青”に魅力を感じたのか.これはこの物語の核心部ではないかと思います.
ここまで人々を魅惑する“紺青”とは一体何者なのでしょうか.




3.“紺青”とは何の象徴か
著者が“紺青”というカリスマ的イスラム教の指導者を設定した本意はなんだろうかと考えたいです.
“紺青”は,西から来たKaとは,対照的に描かれています.イペッキ,カディフェをはじめ多くの人々を魅了するカリスマ性.モスレムとしての骨太な精神.Kaと何度も会話を交わすことがあるのですが,Kaは,“紺青”を恋敵として見ているのに対して,“紺青”は,Kaを対等には見ておらず,見下した眼差しで接します.それは,“紺青”がイペッキと関係を持っていたのもあるでしょうし,Kaの信念の柔さを見下していたのかも知れません.


“紺青”はKaに語ります.

「西の人々が考えているように,我々がここで我々の神とこれほど強く結ばれている理由は,かくも貧しいことではなくて,なぜこの世にいるのか,そしてあの世でどうなるかに誰よりも関心を持っているからだ」



また,ある時,カディフェはKaに対して,こう反論します.

Ka「しかし,ここのように,人間を重要だと思わない残酷な国で,信仰のために自分を無駄にするのは賢くない.そんなものは,金持ちの国の人々の話だ.」
カディフェ「まさにその逆です.貧しい国では,人間は信仰しか頼れるものがありません.」



“紺青”とカデェフェが語るように,カルスでは,信仰は絶対不可欠なのだと強調されています.ただ,上記を読んでもわかるように,“紺青”の方がコアな思想を持っているのに対して,カディフェは,表面的な物言いとも取れます.


“紺青”は,イスラムの過激派指導者として語られる以前に,多くの指導者がそうであるように,人々が抱えている闇を見抜けるような眼力,そして誰をも跳ね除けられるような強い信念を持った人物として描かれています.一方で,残酷で過激というのは勝手に貼られたレッテルで,人間味溢れる温かさも持ち合わせています.この温かさは,イペッキ,カディフェやハンデという女性が語ります.


イペッキはKaに“紺青”のことを語ります.

「誰も苦しまないようにと,願うの.ある時,母親が死んだ二匹の仔犬のために一晩中涙を流したわ.信じて.彼は誰にも似ていないのよ.」

イペッキは“紺青”の思想を抜きにして一人の男性として惚れ込んでいたように思えます.


しかし,妹カディフェは“紺青”と思想的なすれ違いを見せます.

「わたしはあなたと違って,だれかが,どう思うかによって生きていないことは誰もがしっているわ」

カディフェ自身は,モスレムの女性の代表と見られることや,スカーフで髪を覆うといった形にそれほどこだわっていないことがわかります.


“紺青”は,最後にKaとの別れ際に意味深な言葉を投げかけます.

「幸せでさえあれば十分だと思う者は,幸せにはなれない.このことを知っておけ.」



“紺青”とは,Ka,イペッキ,カディフェの欠けた部分を持ち合わせていた人間,そしてそれを見抜いていた人間なのかもしれません.




4.イペッキはなぜ“紺青”に惹かれたのか,そしてなぜKaとフランクフルトへ行かなかったのか
イペッキが,Kaと出会って,Kaのことが好きになったのは本心だったのだと思います.そして,Kaとフランクフルトで幸せな生活をすることも頭に描いていました.
しかし,このことの真実は誰もわからないのですが,Kaが最後に“紺青”に嫉妬して,“紺青”の隠れ場所を反対勢力の者に知らせ,その結果,“紺青”は銃殺されたのだと言って,Kaを裏切り者だとしたのです.ただ,これはイペッキの思い込みも入っていると思われます.事実は誰もわからないのですから.


イペッキに,西に行くことを拒否させた要因はなんだったのでしょうか.これは,物語のクライマックスなので,著者のメッセージも隠されていると思います.それは,イペッキの長女らしい,父や妹をこの地に残して自分だけ西に行くわけにはいかないという責任感もあったのかも知れません.しかし,それよりももっと強い何かがありそうです.それは,“紺青”を死なせてしまったという罪悪感を背負ってしまったからだと思います.“紺青”に恋し,Kaとも関係を持ち,最後には,Kaの嫉妬心によって“紺青”が殺されてしまった.その中心にいるのは自分であるのだったのだからと自責の念を持ったのかも知れません.




5.Kaがカルスに入ってから次々と到来した“詩”の意味
Kaは,ばりばりの西洋主義の人間ではないのは確かですが,個人主義であることは確かです.それは,“紺青”との会話でも垣間見られます.Kaは,ドイツの生活ではまったく書けなかった“詩”がカルスに来てからは,まるで降り止まない雪のように書けたのです.彼もなぜかは理解できていません.フランクフルトへ戻ってからもずっとこのインスピレーションの源は何かと自問自答を続けるのですから.


著者は,国境の町“カルス”には,現在のトルコが忘れかけているものがあると言いたいのではないかと思えました.あるいは,現在のトルコが抱えている問題をカルスという片田舎の小さな町で,具体的な問題として起こっていることをストーリー仕立てにして訴えかけたのかもしれません.
Kaに詩を与え,イペッキと“紺青”の間に関係を持たせ,カディフェを改宗に至らせた町.物質的は貧しく,雪が降れば停電になり,他の町との交通が絶たれる町.かつては様々な文化,歴史,民族によって足を踏み入れられた町.西洋化・近代化の流れにあるトルコの中で,政府から色んな意味で一番距離の遠い町カルス.
この町には,何かがあるのでしょう.それが何かは,そこにいる人にしかわからないのかも知れません.


この小説の著者オルハンはKaの人生を追跡する途中で,フランクフルトに戻ったKaがイペッキに何度も送ろうとしたが,1通も遅れなかった書きさしの手紙を発見してこう語ります.

他人の苦痛や恋を理解することはどこまで可能であろうか? わたしたちよりも,より深い苦悩,貧困,虐げられることの中で生きている人たちのことを,わたしたちはどこまで理解できるのであろうか? 理解するということが,もし自分自身を自分とは異なる人々の立場におくことができることならば,この世の金持ちや支配者は端に方にいる何百万の惨めな者を理解できるだろうか? 小説家のオルハンは,詩人である友人の困難で苦しい人生の闇を,どこまで見ることができるのだろうか?





補遺
Wikipedia
トルコ(日本語)
カルス(英語)
トルコの人々(英語)
ケマル・アタテュルク(日本語)