養源院・智積院・清閑寺

昨日とは打って変わって、本日はとても爽やかな天気でした。足取りも軽かったです。やはり外出時は晴れてるに越したことはないですね。
改めてガイドブックなどを見てみると市内の有名な寺社は概ね礼拝したのかなと思いました。といっても、東山の建仁寺六波羅蜜寺、衣笠の金閣寺、大原の三千院はまだです。しかも、大徳寺南禅寺など、すべての塔頭に入ったわけではありません。
だいたいの地理がわかってきたところで、今後は、大寺社の陰にあるような名刹、あるいは有名な庭園に焦点をあてて拝観していこうと思います。


寺社巡礼の面白みは、建造物やその立地条件や配置、仏像、宗派、絵画など、様々なところに時代背景や人の思いが見え隠れするところです。一方で、伽藍、境内、庭園、路には豊かな草木の息吹を感じることができます。角度を変えれば見えてくるものも変ってくるので興味が絶えません。
確かに、庭園などで育てられている植物は人の手によるものであり、それらも人の文化と言えばそうかもしれませんが、こうやって一つの街の中に文化と自然が両立しているのは、素晴らしいことだと思えます。世界中探しても、なかなかないのではないだろうかと思います。


今回の散策&サイクリングルートは、三十三間堂南門→養源院→智積院(お庭拝観)→新日吉神社→(坂道登る)→清閑寺 でした。


養源院は、三十三間堂のすぐ傍にあり、清閑寺は少し離れたところにありますが、清水寺からもアクセスできるようです。どちらもなかなか通好みの寺ではないでしょうか。


三十三間堂南門
多くの観光客は、南門まで足を運ばないようですが、なかなか見ごたえのある門です。個人的には寺社の門や鳥居まで、もしくはお堂や社までのアプローチの雰囲気を楽しみながら歩くのが好きです。なんとなくワクワクします。



養源院
血天井俵屋宗達襖杉戸絵、狩野山楽の襖絵、鶯張廊下と、見所満載の寺です。
もとは豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために創建されましたが、その後火災により焼失し、徳川秀忠正室崇源院の願により伏見城の遺構を移築し、徳川家の菩提所となりました。したがって、家紋は『三つ葉葵』です。



智積院
真言宗智山派の総本山です。
長谷川等伯一門が描いた障壁画「楓図」「桜図」(いずれも国宝)と宸殿の庭園は見る価値は十分にあります。



智山派の家紋は桔梗(ききょう)ですね。ちょうど境内には綺麗に桔梗が咲いていました。



宸殿の庭園
山は「廬山」を、池は「長江」をモデルにしていると言われています。















日吉神社(いまひえじんじゃ)



徳川全盛にあっても、樹下社として、木下(=秀吉)をひそかに祀ってきたようです。






清閑寺
「歌の中山」とも呼ばれます。ここまで来る人はほとんどないでしょう。しかしなかなか重要なお寺で、平清盛によって宮中を追われた小督局が出家した場所であり、また幕末には西郷隆盛清水寺月照上人が密議を行った場所でもあります。






かつて大津をへて、山科から来た旅人たちは、ようやくこの峠で京都を一望できたと言われます。
西本願寺東本願寺枳殻邸渉成園)、豊国神社、智積院、豊国廟の一直線が浮かび上がってきます。



NHK地球エコ2008の飛行船