こころと脳の対話 / 河合隼雄・茂木健一郎 (2008年)

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★目次
第一回 こころと脳の不思議
ユングは人間の何を見ようとしたか/学生時代の箱庭体験/安易に「言語化」することの怖さ/夢の意味を自分で考えてみる/心の盲点が夢に現れる/「気づき」の感覚を忘れた科学/「関係性」とは心のつながり/「愛は盲目」は脳科学的に正しい/「中心統合」の欧米、「中空均衡」の日本/「三年に一人、本物が出ればいい」/無用な決まりごとが多すぎる/「診断を下す」ことが患者を苦しめる/「私」とは「関係の総和」/変化という「可能性」に注目する/脳科学では心の一部しか見えない/近代科学が排除してきたもの/ひとつの事例は普遍に通じる/話を聞くだけで疲れてしまう人/人は極限で同じ心の動きをする


第二回 箱庭と夢と無意識
箱庭のなかの「生」と「死」/「わからない」ことを大事にする/ニワトリが牛耳る不思議な世界/箱庭をして帰って行ったゴリラ/世界全体を見ている「誰か」/そのアイテムを選ばせる「無意識」/東洋人の箱庭には自然が多い/無意識をつかみ出すとっかかり/「シンクロ」はどうして起こるか/非因果的連関をおもしろがる/因果のしがらみを解きほぐす/箱庭で体験するシンクロニシティ/世の中を縦糸と横糸で見てみる/関係性でのみ成り立つ確実性/科学主義との果てしない戦い/箱庭をしているときの脳活動/科学と「人生」との乖離/身の上話に夢中になる運転手/「運命の人」も文脈のせい?


第三回 「魂」を救う対話
脳治療の倫理的課題/脳科学に限界はあるか/夢のなかで「意味」がつながるとき/自己矛盾を解決するための装置/言語に依存しすぎの現代人/相手の苦しみを正面から受け止める/「中心をはずさずに」/相づちの達人/相手の「魂」だけを見つめる/治療が必要かどうかの見きわめ/「偶然」というものを大事にする/何年も経って意味がわかる夢/全体に、平等に注意力を向ける/数学から心理学の世界へ/脳科学の「科学的真実」への疑問/現代人の不安の根本原因/「関係性」を扱う科学は生まれるか/答えを与えるより、悩みを共有する/「わかった気になる」落とし穴


★この対話を読んでいると、自分の中でカタルシスが起こっているような気がしました。以前、自分も、興味本位から、短期間で箱庭療法を体験したことがあったので余計に興味深く読めました。今一度、自分の作った箱庭を見直してみると、例えば、茂木さんが作った箱庭と比べてみると、茂木さんの箱庭には、ゴリラであるとか、ニワトリであるとか固有性の強い(?)ものが数体置かれています。しかし、自分の庭では、そんなに意識をして、コイツを置いてやろうと思ったことがなく、1個だけおくんじゃなくて、貝殻であれば、何個か貝殻を全体に散りばめていたし、木であればシンメトリーに配置していました。今見てみても、このフィギュア、嫌いなんだけど、置かざるをえないなぁみたいなものがなかったように思えます。本書でも指摘されているように、東洋人と西洋人は基本は同じなんだけど、前者の箱庭には自然が多く、後者のはアイテムの数が多いようです。


また、カウンセラーとして大事なことは、クライアントの苦しみを正面から受け止めるようにすることだと言及されています。「中心をはずさずに」一生懸命に聞く、そうすれば本人は自分で考えて、自分でよくなっていくのだと。結局、クライアントは自分から逃げずに、正面から自分と向かい合わないといけないということだと思います。


本書の対話の中には、「こころ」に関する公式とか一般論が出てくるわけでもなく、読後感としては、強いて言うなら、”結局、「こころ」ってわからないものなんだ”の一言になってしまうのですが、その反面で、どんなことにでも「原因と結果」があり、理屈で「割り切れる」と思い、答えを急いでしまう癖が自分についていることも感じました。


自分も日常で無意識(?)のうちにやってしまっている「思い立ったらすぐ」の「気分屋的行動」ですが、これはこれで、自分が自分であるために大切なことなのかもしれないと今一度思いなおしました。むしろ失ってしまってはいけないのかも知れません。