ねじまき鳥クロニクル / 村上春樹(1995年)



ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)


ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)


ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)


★主人公の「僕」(岡田トオル)が涸れた井戸に降りていき、考え事をする行為。これは一見奇異な行動に思われるのですが、不可解な出来事に次々に巻き込まれた挙句、八方ふさがりに陥った場合、自分のこころの深層に降りて、そこで考え抜くことこそが意味を持ってくるのかもしれません。「大人になる」ってことは「現実に生きている」って意味なのかもしれません。それゆえに、見えなくなってしまったものもあるのかもしれません。自分の大切なこころの核とつながり直そうと思うと、非日常的な視点が必要だと思われます。
「死」に異常に執着する女子高生、笠原メイ。彼女は彼氏とバイクで二人の乗りをしているときに、走行中に後ろから両手で目を覆ったために、転倒事故を起こし、その男の子は死んでしまったのです。「死のかたまり」が彼女を激しく揺さぶるのだという。そんな笠原メイの危険な死のイメージを変化させたのは、岡田トオルの真摯に自分の死と向かい合う姿でした。一見変わった人「僕」ですが、笠原メイをマトモな世界へと向かわせるのです。
突然に失踪したトオルの妻、クミコ。平和な「こちら側」から暴力的な「あちら側」。現実的な「見える身体」ではなく、精神的な「見えない身体」が穢されてしまったかのような、心身が乖離したような状態に陥っているようでした。トオルは、「見えない身体」の次元で、彼女を穢した綿谷ノボルの力と対抗します。もしかすれば、クミコに見られた「乖離」は、現代人の特徴なのかもしれません。