『ねじまき鳥クロニクル』 における自我形成をめぐって− メディウムの存在に視点を− / 王凱洵

人が死ぬのって、素敵よね。(中略)そういうのをメスで切り開いてみたい。死体 じゃないわよ。死のかたまりみたいなものをよ。ソフトボールみたいに鈍くって、 神経が麻痺してるの。(略)まわりがぐにゃぐにゃとしていて、それが内部に向かうほどだんだん硬くなっていくの。だから私はまず外の皮を切り開いて、メスとへらのようなものを使ってその中のぐにゃぐにゃしたものをとりわけていくの。そうすると中にいくにしたがって、だんだん硬くなっていってね、最後には小さな芯みた いになってるの。
以上の引用は、「現代の物語とはなにか」における村上春樹河合隼雄との会話による もので、作者は夏目漱石の作品から、日本の戦後文学まででは、ある側面は「エゴ」と「外 界」との葛藤が読み取れている。それによると作者自身の物語る方法も、「『エゴ』と『環 境』その両者の関係をそのまま意識の下部方向に引き下ろした『別の形でシミュレートす る』」で成り立ったものであると語った。さらに作者は「エゴ(自己)」と「環境(外界)」 の間にユングの学説で使われる「セルフ(自我)」という概念を加えて設定し、その三者の構造は以下の図1の示すように、外界の圧力がセルフを押し、これに対してエゴが反応 して押し返すと解釈されている。

http://www.cf.ocha.ac.jp/archive/ccjs/consortia/9th/pdf/9th_consortium_abstract18.pdf