概念を持つ

他者が書いたものを読み,自分なりに解釈するという行為は,自分の自我とは異質なものを消化し,吸収することであると言えるから,場合によっては膨大なエネルギーを必要とすることもあれば,消化・吸収が不可能であることもある.ある意味では,自他の区別を超えた不思議な事実である.
僕に関しては,多くの哲学書に真っ向から挑むことは,甚だ無残な結果を残すことが多い.しかし,複雑な系からの単離,すなわち大量な情報の要約や引用,また簡単な言葉に置き換えられた文章であれば,消化・吸収が容易になることもある.見方によれば,他者のフィルターによって濾された,味気ないものであるという批判があるかもしれない.
しかし,処理が困難だと思われる場合には,ある程度分解されたところから対応していくものであろう.これは,書物に関してだけではなく,何事に関してもそうであろう.経験から生まれる概念,他者の持つ概念,社会が持つ概念,個人が生得的に持つ概念によって人は物事を識別し,自分の背丈に見合うと思われる物事に対処していくことがいいのではないかと”個人的には”思っている.