ウェーバーは,科学者は「事実(〜である)」と「価値(〜すべき)」を明確に区別して表現すべきだと主張している.このことは,科学者は,社会の「こうすべきだ」といった命題を大前提として,それを実現させるために,科学的根拠に基づいて,合理的な手段を示すべきであると解釈できる.
保全生物学が科学であるためには,それに携わる科学者は,科学的「事実」と「価値」的判断を明確に区別して,活動に取り組むべきである.
僕は,このような考えを前にしてどう解釈するべきか.先日の日記では,「科学とは何か?」と聞かれれば,「科学とはいかにあるべきか?」という倫理観を問われたことになると書いたからだ.
そこで,混乱をさけるために,社会的な価値判断(ニーズ)と科学者自身の倫理観(スタンス)を区別しようと思う.
繰返すことになるが,科学は社会の要求を大前提として,その問題を解決するための合理的かつ客観的な手段を提示するべきだ.その際,科学者は,個人の価値判断と科学的根拠を明確に区別して示さなければならない.公私混同してはならない.
そして,もっと根本的な問題として,科学に携わるもの(科学者)も含め社会全体として「科学とは何か」「科学はどこまで有効か」といったことを常に考えていなければならないし,科学の発展と科学の利用のされ方をよく知っておかなければならない.なぜなら,かつての原子力の技術もそうであったそうに,科学技術は両刃の剣であり,それを扱う専門家(科学者)によって価値判断は異なっている場合があるので,どの科学者に意見を求めるか,どの示唆を取り入れるかは,社会が決める必要があるのではないだろうか.
一方で,科学者個人も社会の一員である以上,社会的な価値判断と個人の倫理観を踏まえた上で活動するべきだと思う.