「時間」を哲学する

中島義道の『「時間」を哲学する』を読んでみた.初っ端から,ベルクソン論について書かれている.中島氏は,
時間は現在の知覚や行為の最中に空間化されるのではなく,あくまで過去の知覚や行為を想起する時に空間化される.すなわち,空間化された時間とは実は過去化された時間である.ベルクソン風に言えば,僕らが「時間とは・・・」と語りだす時には,自然に過去化された時間を語っていることになる.
という部分には同意しているが,以下のベルクソン論には反対している.
しかし,ベルクソンは空間化されていない時間こそ本当の時間,すなわち「純粋持続」であると言う.
空間とは,「間隔によって分離され保存された多様性」と定義される.従って,空間とは物理的空間も数学的空間も想像的空間も互いに区別がつかないひどく抽象的なものである.
時間が空間化されても,それを空間自体と混同しないのは,その本性が純粋持続だからである.
時間の本性は非延長的なもの「純粋持続」であり,それが空間化されることによってはじめて延長的性格を獲得する.
「時間」を哲学する (講談社現代新書)