もうすぐお盆

もうすぐお盆だけど,帰れるのか帰れないのかわからない.僕は,不謹慎だが,お盆や,初詣や,クリスマスを「宗教的な行事」として考えたことがない.うちの家族が,適当に行事を済ましているという意味ではなくて,信仰の一環として,これらの行事に取り組んでいるかどうかがわからない.
研究室におられる留学生の方には,クリスチャンの方もいて,日本人(すべてではないが)が,このように1年の間に複数の宗教的儀式を行うことに驚かれたようだ.
これらの行事は,元々は仏教や,神道キリスト教から由来しているわけだけど,どういうわけか,日本ではごっちゃまぜにしている人も多いような気がする.しかし,様々な宗教的儀式を行う日本人が宗教に対して,無頓着かといえば,そうでもないような気がする.
ここで「宗教とは何か?」と考えられるほど,僕には知識も技量もないけど,こういった日本人の習慣は,「なるべくしてなった」と思う.「何を信じるか?」というよりも,「何を大切にするか」だと思う.「何を大切にするか」と考えたとき,どんな人でも「心」だと考えるだろう.だから,「〜教だから」,「無宗教だから」といった見方は,形にこだわる人が議論することであって,本質的には,どの人も「こころ」について考えているのだと思う.僕だって,「どの神を信仰しているのか?」と聞かれれば,「わからない」と答える.しかし,「何が大切か?」と聞かれれば,「こころ」だと答える.具体的に言えば,自分が今こうやって生きていることに感謝するということだし,そういった環境を支えてくれている親や兄弟,その親を産んだ祖父母,ずっと先祖を辿っていくことでもある.また,友達など,自分が直接関わっている人や,間接的に関わっている人など,「すべてのことに感謝する」ということになってくる.
これは僕の誤解であるかもしれないが,仏教でもキリスト教でも神道でも,信じる神は違っても,説いていることは,大部分が似通っている気がする.お寺に行くか,神社に行くか,教会に行くか,あるいは,お墓参りをするか,しないかは異なるけど,どの宗教も,「内省的な心の状態」を重視している気がする.
だから,複数の宗教の行事を行う日本人は,何も考えていないかと思うと,そうではないと思う.もしかすれば,それを多神教というのかもしれないけど,それは定義の問題だけかもしれない.
ただ,生活が忙しくなると,どうしても疎かになってしまうのが,このような宗教に関する行事であり,「内省的な時間」でもある.だから,毎週教会に礼拝に行っている人や,毎日仏壇の前でお経を上げている人からすれば,今の日本人は,「何か忘れている」と思われるのも当然かと思う.また,古来からある宗教には魅力を感じないが,新しい宗教に対して魅力を感じる人もいるというのも,一つの社会現象かもしれない.