イタリア古寺巡礼 / 和辻哲郎

イタリア古寺巡礼 (岩波文庫)
和辻哲郎(1889年−1960年)は、『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家で、兵庫県神崎郡(現姫路市)出身です。
本書『イタリア古寺巡礼』は、和辻氏が、文部省の海外留学生としてドイツに渡った間に、1927年末から三ヵ月程イタリア旅行の各地を巡り、出会った絵画・彫刻・建築の印象を心の赴くままに綴ったものを、日本の照夫人に宛てた手紙です。
日本の飛鳥美術の鑑賞録『古寺巡礼』と同じく、本書もイタリア美術紀行の案内として、さらにはギリシア以来の西洋美術の鑑賞の手引きとして、優れたものであるとの定評があります。
旅路は、ローマ〜ナポリポンペイシチリア〜アシシ〜ローマ〜フィレンツェボローニャラヴェンナ・パラヴァ〜ヴェネチアです。
国際電話も、カメラも今のように気軽に使える時代ではなかったですから、手記が物事を伝える唯一の手段でした。鋭い観察眼で、日本とイタリアの比較が行われています。イタリアの人々の肌の色、動き、まちの景観、農場・牧場の作り、植生、気候、湿度の違いなど、いわゆる「風土」の比較は、本書をただの案内記や紀行記に留めず、学術的な域にまで高めています。
彫刻に関しては、当時著者は、ギリシア彫刻に強く魅了されていたせいか、ミケランジェロ作の「モーゼ像」(サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会所蔵)などのローマ彫刻が、ギリシア彫刻に圧迫されていると分析しています。

モーゼ像もギリシア彫刻と同じく、「中から盛り出るもの」を刻み出そうとしているのであって、決して上っつらの、中のからっぽな形だけを作ろうとしているのではないが、しかしそれをギリシア彫刻とまるで違ったやり方でやろうとしている。モーゼの髭でも、着物のひだでも、腕や肩の肉でも、ほとんど全体の形を無視するかのように、むくむくともり上がっている、その局所的な表現力で、全体の輪郭などをわざと見せないようにしているのではないか、と思われるほどである。(中略)そういうやり方で「内なるもの」を、あるいは精神を、外に押し出すことができる。それが彼らのねらいであったと思われる。内と外の区別のないギリシア人、内が外であるギリシア人には、そんなことは問題にはならなかったのである。(和辻哲郎著「イタリア古寺巡礼」岩波書店より)

一方で、ナポリ国立美術館所蔵のシヌエッサのヴィナス(Aphrodite von Sinuessa)に対しては、

肉体の表面が横にすべっているという感じは寸毫もない。あらゆる点が中から湧き出してわれわれの方に向いている。内が完全に外に現われ、外は完全に内を示している。それは「霊魂」と対立された意味の「肉体」ではなく、霊魂そのものである肉体、肉体になり切っている霊魂である。人間の「いのち」の美しさ、「いのち」の担っている深い力、それをこれほどまでに「形」に具現したことは、実際に驚くべきことである。(和辻哲郎著「イタリア古寺巡礼」岩波書店より)

と述べられています。ギリシアの彫刻には、内と外の区別がなく、一方でミケランジェロなどローマ人の彫刻は、内よりも外へ偏っており、調和が取れていないように見えるということだと思います。
 少し本書から飛躍して、個人的な意見になりますが、ギリシア彫刻の内と外の調和、ローマ彫刻の外への偏りの指摘を読むと、キリスト教パウロ)の二分法の考え方が思い浮かびました。
欧米の思想、特にキリスト教の思想を勉強する場合、二分法という思考法に直面することがあります。簡単に言うと、人間の内面と外面はまったく違うということです。この二分法的思考法は、初期キリスト教の最も重要な理論家パウロに由来すると言われ、原始キリスト教が、ローマの法律に反するという理由で大弾圧を受けた際に、ローマ市民が、外面的にはローマの法律どおりに行動し、内面においてはキリスト教徒たれ、と人間の内面と外面、すなわち信仰と行動を峻別することで信仰を維持しました。
内と外に分けて考える、内を現すために、外への比重を大きくする。ミケランジェロに代表されるローマの彫刻で、このような偏りが観られることが、とても不思議になってきました。
 本書は、彫刻や絵画などの芸術作品への言及が主ですが、建築物やまちの景観への所見も随所で読むことができます。 イタリアの空気は乾燥していることから、岩の風化がひどくないことと日差しが強いわりに雑草がはびこっていないこと、また、落葉樹より常緑樹が多いことなどが挙げられています。このような風土の観察、そして文化間での比較は、単に知識があるだけではなかなかできないと思います。鋭い観察力と感受性の賜物であり、和辻哲学の特徴は、西洋哲学の文脈だけを探るのではなく、天気、湿度、地形、食物、植生、農業、街の景観といった環境面からの分析を行うところにあるのではないかと感じさせられました。
 戦争の時代であったからか、和辻倫理学の根本である「風土が人間に影響する」という思想は、悪しき環境決定論であり、天皇制肯定論になっているという批判もあるそうですが、現代の読者の中で、本書を天皇制肯定論の書として読む人はどれくらいいるでしょうか。


ジョットの鐘楼からみたフィレンツェの街並み
ヴェッキオ宮・ウッフィツィ美術館
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サン・ロレンツォ教会
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フィレンツェのヴェッキオ宮所蔵ミケランジェロ作「勝利者
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イタリア南部の風景
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