福井県・永平寺

道元の言葉「学道の人は尤も貧なるべし」が心にこだましたのか、かねてより憧れていた越前(福井県)にある曹洞宗大本山永平寺へほぼ衝動的に足を運びました。しかし、半ば仏門に入るような気持ちで向かっていたのですが(?)、予想以上に観光客も多く、境内では修行僧が丁寧に参拝者を案内してくださるので、少し拍子抜けはしました。ただ、これこそ、「来るもの拒まず、去るもの拒まず」の精神なのかもしれません。僧侶にとってはこれも大事な修行の一つとのことです。伽藍は、禅の道場らしく、簡素な作りで、京都の禅宗の寺で見てきたような、三門、仏殿、法堂を中心に、左右に僧堂(坐禅を組む場所)、庫院(台所)、東司(お手洗い)、浴室が存在しました。特に、有名な庭があるわけでもなく、国宝級の建物や仏像が数体安置されているわけでもなく、さすがにここに来て観るものはただ自分の心と身体の内面なのでしょうか。そして、「凛」とした永平寺の修行僧からは何かオーラのようなものが出ていて、身分も財も欲も何もかも捨てて仏門をくぐった人の姿とはこういうものなのかと強く印象に残りました。永平寺に来て一番の収穫は、僧侶の方々の姿を観たことだったのかもしれません。


琵琶湖
京都駅から福井までは、特急で80分程度です。北陸は遠いというイメージを持っていましたが、意外に近いです。車窓から見る琵琶湖が綺麗でした。海のようですね。









この辺は豪雪地帯なので、冬になると景色が一変するのだろうと思いながら見ていました。建物の窓の位置も少し高いめに作られているように思えます。



仏門をくぐろうとする人はこの道を登って来るそうです。といってもすぐに修行僧になれるわけではなく、山門の前で数時間じっと待っていると、やがて中から僧侶がやってきて、”なぜここに来たのか”、”なぜこの永平寺なのか”、と禅問答がなされるそうです。入門するのも一苦労です。






























冬は温暖化の影響によってか80cmしか(!?)雪が積もらないそうです。山間部の水田の畦畔(あぜ)は、平野部によりもずっと広く厚いです。これは段々になっている分、水圧が強く決壊しやすいためであるそうです。そしてこの辺は、熊やイノシシやサルが一番の外敵で、進入防止のために電流鉄線が張り巡らされていました。他にも、独自の栽培方法がいくつかあるようで、農業の奥深さを知りました。山間部の川の水はとても澄んでいるので、やっぱりコメも美味しいでしょうね。