お盆

お盆なので週末は実家へ帰る予定です。本願寺へ参拝へ行きました。阿弥陀堂(本堂)の改修工事も終わり、すっかり落ち着き払った感があります。門をくぐって、広い境内に入ると心理的に余裕が出てくるのを感じます。さらにお堂の中に入ると、気持ちが落ち着いてきます。そういえば前回の参拝から少し間隔があいてしまったことに気づきました。


仏教で説かれる殺生与奪の倫理観は、人間が生きていくためには他の生き物を殺して食べるほかないとする、いわばエゴイズムの自己認識に発するとも言われます。かなりオーバーな言い方をすれば、人間は毎日のように生き物を殺す悪を犯していることになります。そもそも宗教というのは、何かを食べるときに「いただきます」と祈りをささげることからはじまったのではないかという意見も聞いたことがあります。食欲は、善悪の判断以前のどうしようもない宿業的に内包される生命的(身体的)欲望なのかもしれません。特に現代の便利な世の中に生きていると、ついついこの有難さも忘れがちになりそうです。今より不便な昔でもこのようなことはあったでしょう。親鸞上人は、このようなエゴイズムの合理化に対する戒めとして、念仏を唱えることの重要性を説き、一方で、そこから生じる人間の罪の意識を贖わさせる有効な手段として、「他力」の考えを教示し続けたのではないだろうかと、ふと思いました。


何はともあれ感謝の気持ちとともに仏に手を合わせました。