草枕 / 夏目漱石

草枕 (岩波文庫)


★ピアニスト、グレン・グールド夏目漱石の「草枕」を愛読していたことは有名な話です。自分はこのことを知ってから、「草枕」という一人の画工の旅の物語を読むたびに、この人物にグレン・グールドという一人の芸術家が重なり合ってしまいます。旅の行程が進むにつれ、苦悩が美へと変化していくようにも感じられます。グールドが奏でたバッハやブラームスピアノソナタを聴くと、孔子の云う「心の欲する所に従って矩(のり)を越えず」の境地とは、このことなのだろうかと思えてきます。


グールドが朗読番組で読んだと言われる箇所を引用しましょう。

たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。

自分は、音楽的な理論については皆目わからず、ピアノも今は弾けませんが、どういうわけか、音楽は好きです。こういう場合を、心で聴いているというのでしょうか。流れるものへ共感していると言ったらいいのでしょうか。小説の登場人物に共感し、現実の人に共感できるのと同様、音楽へも、知性でなくとも、本能的に共感することが可能なのかもしれません。