森岡正博と田中美津〜「自分を棚上げにしない」ために〜 / 宮島 怜 (2010年)



著者のいう「自分自身と出会うことから、他者との出会いが生まれる。また、他者との出会いから自分自身とは何なのかを問いなおすこともありうる。」という言葉にとても本質的なものを感じました。著者は、森岡正博氏と田中美津氏に対して、そして自分自身に対しても深く交わっています。


森岡正博氏は、「生命学とは、自分をけっして棚上げにすることなく、生命について深く表現しながら、生きていくことである」と定義づけしています。この生命学の理念の底には「自分をけっして棚上げにしない」というスタンスが横たわっています。これは、何かについて考えるときに、私の場合はどうなのか、私自身それをどう思うのか、どのようにこの問題と関わってきているのか、という問いを絶えず自分自身に発し続けることです。


森岡氏は「科学者になりたかったがなれなかった。宗教という枠にも入りたくても入れなかった。」と語ります。この大失恋の経験から、人間の生と死の問題を科学でもなく宗教でもない立場から見ようとしたのです。そして独自の手法である「生命学」が誕生しました。


しかし、自分を棚上げしないということほど難しいことはないのかもしれません。うかつにも、自分を棚上げにしてしまった時、生命学ではどのように考えればよいかというと、森岡氏は、「自分が言っていることと、自分が実際にしたことが違ってしまったとき、まずその事実から目をそらさずに、それをそのまま直視する。そのうえで、自分がどうしてそのようにしてしまったのだろうかと考えること」だと述べています。物事を考える際に常に自分との関係においてどうなのか、照らし合せ、自分を振り返ることの大切さが強調されており、これこそが、生命学の基本スタイルです。


森岡氏は、1990 年代初頭に、日本のフェミニズム生命倫理について調査を開始した時、ウーマン・リブというものを知りました。そして、ウーマン・リブを通して、また田中美津との出会いによって「生命学」のヒントを得たとされます。ウーマン・リブとは、1970 年代に日本で起こった女性解放運動で、優生保護法や人工妊娠中絶などの問題をめぐって、パンフレット、ビラなどを配り、独自の主張を草の根運動で繰り広げました。


当初ウーマン・リブの根幹には「女性の権利」の主張がありましたが、そんな中で田中美津氏が「本当に中絶は女の権利なのか」と異議を申し立て、団体ないしは思想が二つに分裂しました。森岡氏が注目したのは、「中絶は子殺しであり、中絶する女は殺人者である」こと認めざるを得ないことであるが、問題は、女が中絶をしなくてはいけないような社会を国家や男たちが作っていることであると考察する田中氏のスタンスそのものでした。「子を殺すことで生き延びる自分とは何か」と自分自身を問い詰め、生きていく私。これは、森岡氏がいう「自分を棚上げにしない」ということにつながります。


田中氏は、権利の獲得ではなくそれ以前の考え方、要するに中絶することは子殺しであるという考え方を主張し、中絶問題、生命倫理における二分法の考え方を崩しました。現在の生命倫理では、「生き方」や「生きること」そのものに焦点を当てていないと捉える視点を持ち合わせています。ここに、森岡正博田中美津の接点があると考えられます。


一方、田中氏の思想として重要と考えられるのが「とり乱し」です。これは、自分が抱えている「たてまえ」と「本音」の間の矛盾に気づき、おろおろすることと紹介されています。田中氏の生き方は、自分の中の矛盾をさらけ出し、とり乱していくことから始まります。そして、とり乱しを通して人と人とがつながってゆける「出会い」というものを重要視しています。


著者は、「自分を棚上げにしない」と「とり乱し」とは表裏一体の関係であると考えています。どちらも自己を問い直すことから始まっており、問題の大小ではないとされます。ただ、森岡氏は田中氏の思想に影響を受けましたが、田中氏の「とり乱し」からの出発したのではなく、「自分を棚に上げない」という思想を打ちたて、どこの枠組みにも当てはまらない、自らの第三の道を歩まねばならないと考えました。

自分自身と出会うことから、他者との出会いが生まれる。また、他者との出会いから自分自身とは何なのかを問いなおすこともありうる。森岡の場合は、田中との出会いによって、田中に影響を受けた自分自身というものに出会った。そして、自分はこのままでいいのだろうかと自問し、「生命学」という生き方を構築していった。

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宮島 怜(2010)森岡正博田中美津〜「自分を棚上げにしない」ために〜
http://www.lifestudies.org/jp/miyajima01.pdf