自分なりに環境倫理的な曲を10曲挙げてみようと思います。そもそも環境倫理的な曲ってなに?って思われるかもしれませんが、安易にエコ活動を啓蒙するような曲を選ぼうという気はなくて、芸術表現を通じて環境のことを考えさせられるような曲を選びたいです。なぜなら、人間が環境保護活動をしようとか、動物愛護を訴えかけようとか、そういった活動の動機になるものは、実は理屈ではなく、感性や感情に負うところが大きいと思うからです。
人間の中にはいろんな感情が渦巻いているように思います。環境問題をめぐって生じる人間同士の対立の解決には「膝を交えて語り合う」ことが大切ではないだろうかと思います。しかし、他人との語り合いのためには、まずは自分との「対話」が必要だと思います。自分の中に渦巻く感情を冷徹に見つめ、ポジティブな感情からネガティブなものまで、できる限り自分を知ることが、他者とのよりよい「対話」につながるのではないだろうかと考えています。
音楽をはじめ芸術と呼ばれるものは、何かしらのインスピレーションを与えてくれます。ときには深層心理にある普段自分でも気が付かないような深い感情に気づかせられることもあります。
自分をみつめるという行為はやろうとしてできるのではなく、自然体でゆっくりと自分のペースを保つことが大切だと思います。また、何に感動するか、しないかなど、この限りにおいては芸術に質の上下はないと思います。まず自分の解釈が大切です。自分がよいと思うのであれば、それでよいのです。
その1.
尾崎豊の「街の風景」
尾崎は都会で生きることの孤独感を誰よりもいち早く敏感に感じていた感受性豊かな人だったんだろうと思います。ファーストアルバムの1曲目のこの曲は、虚無感に苛まれながらも“おれは強く生きていかなきゃならないんだ”と決意を表明したような印象を受けます。
その2.
B'zの「MOTEL」
稲葉浩志氏が夏に終戦記念のテレビを見ていて、「どうしたら昔やった事に対して罪を償えるのか」と考えた時に浮かんだと語っています。「ひとりじゃないから 汚れながら生きている」という部分にはいつもぐっときます。
その3.
L'Arc〜en〜Cielの「浸食 〜lose control〜」
ダークでヘヴィーな曲です。この曲の一部がローランド・エメリッヒ監督の映画『GODZILLA』に使われました。ゴジラこそ、日本人が抱く自然への畏敬の念の象徴ではないかと思います。
その4.
長渕 剛 の「ガンジス」
日本人、いやアジア人の故郷は、深い河、すなわちガンジス川かもしれないとしばしば思います。自分にとってはまだ見ぬ地。イメージばかりが膨らみます。
その5.
Pat Metheny Groupの「So May It Secretly Begin」
内面の平安。ときどき嵐が過ぎ去って心の水面に凪が訪れることがあります。そんなとき出合ったのがこの曲です。爽やかな風に水面がリズミカルに躍動を始めます。
その6.
映画「キング・アーサー」より「We Will Go Home (Song of Exile)」
映画のサントラからです。ローマ帝国に徴用された騎馬遊牧民族サルマティア人が故郷を想う時に歌う曲です。一人暮らしで故郷が恋しくなったときこの曲に慰められます。
その7.
シューベルトの「アヴェ・マリア」
人間の心の中には、ヒトラーとマザー・テレサが共存しているとキューブラー=ロスが言っていました。自分もそれに納得します。キリスト教の信仰がなくても、クラシック音楽は僕のこころに宗教的なものを与えてくれます。祈りたい、浄化されたい、母性に抱かれたいというクオリアがあるのかもしれません。
その8.
ジョン・レノンの「GOD」
魔法も宗教家も政治家もアーティストもビートルズも信じない。信じるのは、自分とヨーコだけ。愛を信じる。そう語ったジョン・レノン。反戦を訴えかけていたジョンの強烈なメッセージだと思います。形骸化したものへの「崇拝」は多くの場合、大きな間違いに発展するのではないでしょうか。
その9.
U2のPRIDE(IN THE NAME OF LOVE)
ノーベル平和賞候補にも挙げられるボノ率いるU2。これは、マーティン・ルーサー・キング牧師暗殺事件のことを歌ったものです。たとえ夢はかなわなくても、そのプロセス自体が後世に大きな影響を与えることはよくあります。「人の誇りまでは奪えはしない 愛の名のもとに いまひとたび愛の力を信じて」
その10.
ブラームスの交響曲第1番
自分の心の中を曲で表現するなら、ブラームスの交響曲第1番だと思います。この曲に出会えて魂が救われました。ブラームスの曲には森の中にいるような気持ちになるパートが時折顔を出します。クラシックは、自然の声を代弁したものかもしれないかもしれないと思うことさえあります。