「美しさ」の議論について

美しいってなんでしょうか。逆に美しくないってなんでしょうか。


自分が美しいと思うものが、必ずしも他人にとっては美しいとは限らないし、世の中一般で美しいとされるものが、自分にとって美しいとは限りません。


しかし、美しさを表現(体現)しているものは、自然界では、植物の花の部分であるとか、人間では修行僧と一部の芸術家であるというのに同意できる人は、少なくはないのではないでしょうか。


逆に、美しくないについて考えると、たとえば、人の人生を美しさでとらえるのなら、戦争で戦場で現地へ送り出され、運悪く孤立してしまって、食べるものがなく、原住民を殺して食べなければ生き延びられなかったような状況の人は、美しいと表現されるのでしょうか。たぶん、人食いという行為は美しくないでしょうし、その人の人生は美しくないとされてしまうでしょう。


美しい/美しくないという線引きによって、必然的に、美しくない人、美しくない人生、美しくない行為、そういったものが生じてしまいます。


ところが、人間はときには美しくないことも引き受けなければ、生きていけない不条理な状況に陥ることもあります。


結局、自分としては、「美しい/美しくない」線引き議論は、あまり意味がないと思っています。


自分が新約聖書のペトロの否認のシーンにいつも感動を覚えるのはそのためかもしれません。


あえて美しいかどうかという観点でみるとするなら、どんな人の人生も、どんな状況の人も、すべて美しいと肯定的にみるべきではないかと思います。