不可触民と現代インド / 山際素男(2003年)

不可触民と現代インド (光文社新書)


★インドにカースト制度があるというのは世界史などを勉強した際にも習います。そのカーストの外側にあって、インド社会の中で最も差別されている、不可触民(ふかしょくみん)または不可触賤民(ふかしょくせんみん)と呼ばれる人々がいます。ダリット、アチュート、アンタッチャブル、アウトカーストもしくはアヴァルナとも呼ばれます。彼らは、インドの長い歴史の中で”不浄”とされる仕事を強制させられてきました。インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンディーの功績は多く語られています。ガンジーは「カースト制度」を職業の分担という観点から肯定的にとらえていました。「不可触民」制度を撤廃する活動に精力的に励みましたが、カースト制度そのものの制度廃止には賛成しませんでした。そのガンジーと真っ向から対立したのが、インドにおける仏教革新運動の指導者であるB・R・アンベードカルです。彼は、ダリットに属する両親のもと生まれ、多大な苦労をして、イギリスに留学し、博士号と弁護士の資格を取得しました。インド帰国後は、カースト制度による身分差別の因習を打破するための改革運動を進めました。憲法案起草の中心人物となったアーンベードカルは、憲法案に不可触民制廃止を盛り込むことに成功し、具体的には、指定部族(先住民族)、下級カーストとともに、教育、公的雇用、議会議席数の三分野において一定の優先枠をあたえることとしました(リザーブシステム)。


本書の大部分は、ダリット出身者あるいは運動の関係者へのインタビュー記事で占められています。カースト別の人口については確かな調査が行われておらず、全人口のうち、低いカースト、指定カーストの人口は85%よりも多いとも推測されいます。本書のインタビューでは、ダリットの人たちがいかにひどい扱いを受けているかということが語られています。職業、住居、教育、結婚、女性蔑視など男女間など、さまざまな局面で、不平等を被っているというのがインド社会の闇の部分なのだと知らされます。


ダリット出身の教員によって組織される労働組合の代表で活動家の女性はこう語ります。

経済の自由化、グローバリゼーションで成功した開発途上国がどれほどあったでしょうか?圧倒的なアメリカの経済力の下で仕組まれたグローバリゼーションは、貧困層の切り捨て、犠牲の下にこれから進んでゆくでしょう。インドの支配権力もその線で進んでゆかざるをえないと思います。



また、国際政治学の教授は、行政は上位3カースト世襲制で独占しているので、リザーブシステムがなければ、ダリット出身者には向上していくチャンスがないと語ります。このまま最上位ブラーミン中心の政治が進めば、格差がさらに拡大することを懸念しています。一方、ヒンドゥー原理主義組織(RSS)にナチズムとの類似性をがみてとれるとも指摘しています。


自分個人の所感としては、本書著者のような形でインタビューを行ったことがないので、現地の人から聞いた話や町の様子を観察した経験から考えてみようと思います。まず、現地のインド人(多くが中間所得層)は、ビジネスチャンスに対しては、だんだんとカースト制度が障害ではなくなっていると言います。食べ物も鶏肉や魚など、お金を出せばスーパーで気軽に買う事ができます。一方、町ではホームレスや身体に障害を持った人が路上で生活しているのが多く目立ち、お金を恵んで欲しいと寄ってきます。こういった状況を踏まえて考えると、しらずしらずの間に、社会がダリットという立場の人たちとの接触する機会が物理的に少なくなる方向に進んでいるのではと思います。物理的に接触する機会が少なくなれば、意識もしなくなります。意識しなくなったからと言っても、不平等を被っている人々が存在しなくなっているわけではありません。問題は解決していません。そういった形で、社会が二極化しているのでは思います。ダリット出身という境遇から社会から排除されている人々の「声」というのは、国外へはもちろん、国内でも耳を傾ける人が減っている可能性もあります。一方、国外へはインドの市場や経済成長を担っている人々の「声」に注目が集まりがちです。インド社会の変化を感得しようとする限りは、どちらの声にも耳を傾ける必要があると思います。