Movie: サスペリア(2018)

 

 

ドイツを舞台にした映画はなぜか観てしまします。ホラーに分類される『サスペリア』がCATVで放映されていたので観ました。グロテスクなので、ちょっと怖かったですが、深いものがありそうだったのでネットで調べました。特に、ティルダ・スウィントンが一人三役を担うことの意味について興味を持ちました。

「この映画は精神分析学に強く関係する作品です。ティルダだけが自我(ego)、超自我(superego)、そしてイド(ido)を演じられるというアイデアが気に入ったんですよ。」

若い肉体を欲するヘレナ・マルコスがイド、自身の孤独を抑圧しながら舞踊団の暗部に迫るクレンペラー超自我、舞踊団の暴走を抑えながらその筆頭者を務めるブランが自我だと思われる。(The River

映画では、ブラン(自我)はマルコス(欲望)に負け、マルコス(欲望)は主人公スージーが招き出し黒い悪魔のような怪物にやられます。クレンペラー超自我)の記憶はスージーにより消されます。スージーをダンサーとして育てるブランが、マルコスに負けることから、自我は欲望に負けることが示唆されます。自我は、欲望によってつながった集団や組織には負けることを示唆しているのかもしれません。あるいは、芸術性は、物欲や性欲のエネルギーには圧倒されることを意味しているのかもしれません。

そのマルコスの存在は間接的にスージーにより消され、クレンペラーの記憶はスージーにより消されるので、スージーとは何を象徴しているのかを考える必要があります。マルコスを殺すことは、欲望に突き動かされる人間をその欲望から解放させたとも解釈できます。クレンペラーを苦しめる過去の記憶(超自我)を消し去ることから、自責の念や社会規範に拘束された人間を解放させたとも解釈できます。

世界大戦の構図にあてはめるとするなら、クレンペラーユダヤ人かドイツ国民、ブランはナチスの幹部、ダンスカンパニーの女性らはナチスの親衛隊、マルコスはヒトラー、スージーアメリカの連合国、黒い悪魔のような怪物は連合国の軍隊を象徴しているのかもしれないと勝手な想像もしてしまいます。