昨日は,オートポイエーシスを研究している友達と長い時間話をした.僕からすれば,彼は科学者であり,哲学者である.「自分の世界を持った人」でもある.彼の論文も見せてもらい,色々と話をした.
彼と議論すると,いかに僕が形から入っているかを痛感させられる.僕は,科学的,哲学的という形容詞に拘りすぎかも知れない.
科学者と呼ばれる人であっても,実験を組み立てる段階では,「思索」をしているわけであって,「何に問題意識を持つか」が一番重要になってくる.だから,実験を組み立てている段階では,思索に耽る「哲学者」と変わらないと思う.頭の中にある問題意識をいかに具現化して検証するかは,それぞれの分野で異なっているけれど,「思索する」という初期の状態では,哲学も科学も変わりがないと思った.