他者問題

永井均さんの「<私>の存在の比類なさ」を読むと,「他者問題」と自分が考えていたものが,いかに浅はかであったかを感じさせられる.いわゆる「他者問題」といわれているものの中でも「理由の他者性」「感覚の他者性」には根本的な問題性が発見できないとされる.以下,一部を引用.
他者の問題はおそらく哲学者によって作られた問題なのであって,普通の人が日常の中でふとそのような問題を感じるということはまず考えられない.
他人の痛みを痛んだことのある人は誰もいないのだから,他人の痛みがいかなるものであるか,誰も知ってはいない.「痛み」とはそもそも「私の痛み」を意味する言葉なのであって,「他人の痛み」が何を意味しているかは,誰にもわからないのである.それにもかかわらず,通常われわれはその種の言葉を問題なく使っている.それはどうしてか.
一見したところでは,この「感覚の他者性」という問題は,思考や意図や期待を含めたすべての心理現象について妥当する問題であるかのように見える.
しかし,そうではない.なぜならば,ある人が感覚しているとき体験していることは感覚の本質をなすのに対し,思考(意図・期待)の本質とは無関係だからである.

「私」の存在の比類なさ

「私」の存在の比類なさ