べき論

会社セミナーへの行き帰りには,本当は受ける企業についての資料を読み込んでいくことが大切なのかもしれないですが,僕はいつも全然違う書籍を読んだり,ずっと音楽を聴いていたりします.昨日も無性にベルクソンの「時間と自由」の3章が読みたくなって,地下鉄の中でずっと読んでいました.といっても説明会に対してやる気がないわけではなく,今回の説明会でも自分の聞きたいこと・知りたいことをちゃんと質問することができました.
話は飛びますが,なんとなく僕は「合理的」という言葉にひっかかってしまう性質です.例えば,”短時間でコスト(お金)を最小に”という目的を掲げたなら,電車の場合などでは,路線地図や料金表・時刻表を駆使すれば,最適解は導かれると思います.
しかし,自分の人生にとって「合理的」という言葉はなかなかしっくりこないです.人生の回り道は回り道ではないような気がします.
ベルクソンの「時間と自由」や茂木さんのブログを読んでいてもそういうことを思いました.

これだけはどうしても言いたい。
子どもの育て方で、これはいけない、
こうすればいい、などと言われるが、
そんなものは絶対ではないし、不幸にして、
あるいは偶然に、「ダメ」だと言われる
育ち方をしてしまったとしても、
それはそれで引き受けてがんばって
生きるしかない。
 「・・べき」論は
話半分に聴いていればいいんだよ。
 人間をバカにするな、
ということです。機械じゃないんだから。
 全ての真理は、統計的なものでしか
ないんだから。
 「・・・べき」見たいな、息苦しい
世界じゃなくて、
 どんな条件を与えられても、何とか
前向きに生きのびる、そんな人間の
基盤について考えた方がいいんじゃないか!
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/03/post_d7ff.html(2006.3.21)