聖地の想像力 - なぜ人は聖地をめざすのか / 植島 啓司 (2000年)

聖地の想像力 ―なぜ人は聖地をめざすのか (集英社新書)
★目次
1 聖地の定義
2 石組み
3 この世に存在しない場所
4 ドン・ファンの教え
5 もうひとつのネットワーク
6 巡礼
7 世界軸 axis mundi
8 二つの聖地
9 夢見の場所
10 感覚の再編成


★「居ながらにして世界中の情報が手に入る」現代の高度情報化社会の中で、本書著者は、敢えて「移動こそがすべて」だと主張しています。近未来都市の成功の秘訣は「移動」という概念の捉え方にあり、場所や空間といったものを論じるためには、まず、それらを結ぶネットワークの存在を考えなければならないと説いています。一方で、人類の歴史を遡ると、宗教や文明が盛衰する中で、「聖地」と呼ばれるものが「ある特定の場所」にプロットされており、不動のまま、無数の人々から巡礼の対象とされてきました。
本書では、世界各地に点在する「聖地」と呼ばれる場所を訪れ、「聖地」とか何なのかを定義しようと試みています。著者自らが世界中を「移動」し、エルサレムやヨーロッパの教会・墓地、オーストラリア先住民の聖なる物質やアメリカ先住民の聖地、カーバ神殿ギリシアパルテノン神殿、イギリスのストーンヘンジ、デルファイ遺跡、日本の石舞台古墳東大寺春日大社法隆寺高野山など、数多くの「場所」を例に挙げています。
本書を読み進めていく内に、「聖地」と呼ばれているものは、いくつもの顔(景観・質感・役割・教え)を持った場所なのだと気づかされます。人間(生物)と環境の相互作用を考えると、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)はもとより、様々な知識(性的な隠喩も含む)、いわば霊感(インスピレーション)をかつて多くの人間にもたらした著しく「非日常的」な場所だったのだと言えます。
著者が「移動」という概念を強調する裏には、現代の情報化の発展による視覚中心主義の行き詰まりへの危惧が含まれており、様々な感覚器を備えた人間(生物)の身体と環境との間に生じえるその場限りの関係性の重要性を直感していることが伺えます。