まちの景観

あるニュース番組で、広島県福山市の名勝「鞆(とも)の町(鞆の浦)」で、港の一部を埋め立て橋を架ける計画が出ており、それに対して住民および観光客の間で賛否両論が渦巻いていることが報道されていました(→まちのHP
ちょうど、うちの家族も風光明媚なこのまちで、瀬戸内の海から昇る初日の出を拝み、この1年をスタートしたのもあり、一観光客としては、非常に複雑な気持ちになりました。
この辺りは、瀬戸内海特有の山と海が迫りあった地形で、海岸や崖を道がなぞるように、くねくねと通っています。
たとえば、先月も、イタリアのナポリがゴミのまちになっているというのをニュースで知ったときは、「ああ、故郷が!」 「あの綺麗な海のまちが!」と悲嘆の声がもれました。こういう問題は、きっと世界中で起こっているんだと思います。
「世の中はお金で動いている」という理屈で考えるなら、道を作ることは、交通の便が良くなり、コスト面の削減などから価値を生むというのはわかります。しかし、景観を美しいと思うのは、個人の中での一種の心理的な現象であるので、これが経済的な価値につながるには、観光客が増える、もしくは住む人が増えるといったいくつかのステップを踏む必要があるように思われます。
「工業プラント」や「高速道路のジャンクション」を撮影した写真集が人気を博したのを知った時は、人の審美的な価値観というものは、多様、もしくは非常にソフトでフレキシブルなものかも知れないと思いました。もしかすれば、鞆の町の港に大きなコンクリートの道路の橋がぶっきら棒に通っている風景を美しいと思う人もいるかもしれないし、ゆくゆくは住民も慣れるのかも知れません。
しかし、自分はこの港に道路が通ることを心地よくイメージすることはどうしてもできません。


広島県福山市鞆の浦



ナポリカプリ島
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