姫路城・好古園

あいにくの雨でしたが、姫路城ならびに好古園を拝観しました。どういうわけか、二条城の池泉回遊式の庭園を訪れたときも雨天だったのですが、今回も好古園の池泉回遊式の庭園を観るとなると雨に降られました。しかし、日本庭園は雨が降っているほうが、むしろ、しっとりとして映えるとも言われるので、ある意味では最高のシチュエーションなんだと前向きに捉えました。でも、やっぱり傘をさすよりもカッパを着ていた方が、両手もあいていて動きやすいなと思いました。


姫路城
よく「姫路城は誰が作ったのですか?」という質問があります。この質問は実はあいまいで、いくつかの答えが必要になります。現在残る姿に大規模に修築したのは、池田輝政(江戸時代)とされています。築城者として城の原型をつくったのは、赤松貞範(南北朝時代)という説が有力ですが、その一方で、「城」らしき形を作ったのは黒田重隆だという異説もあります。また、織田信長の命を受けて播磨に進駐した羽柴秀吉が、毛利氏が敗れたあとに黒田孝高の進言を受けて城主となり、姫路城を姫山を中心とした近世城郭として大改修を行ったことも有名です。ということで、答えとしては、少なくとも、池田輝政、赤松貞範、黒田重隆羽柴秀吉は挙げられます。場合によっては「大工さん」という答えもできます。


いままでにこのお城は何度ものぼったことがあるはずなのですが、今回は色々と細部に気がいきました。また、姫路城に関係のあった大名や武将のことなども、改めて気になりました。









瓦をふんだんに使った雨どい(排水溝)。ちょうど屋根から雫が滴り落ちるところに掘ってあります。昔からあったかはわかりませんが、これはいいですね。



大手前通りが見えます。






このカーブは美しいですね。美的感覚から言っても姫路城は素晴らしいお城なんでしょうね。岩のしっとり感も雨天ならではです。









雨で霞んだ向こうに見える白鷺城。なかなかこういう写真も撮れないじゃないかと思いました。






好古園(HP
姫路城を借景として池泉回遊式の日本庭園です。姫路市制百周年を記念して造営され、平成4年に開園しました。お城の西側あたりのかつての西御屋敷・武家屋敷等の地割をいかした9つの趣の異なった庭園群で構成されています。
前々から一度訪れてみたいと思っていたのですが、予想以上に広くて、植物もいろいろあったので楽しかったです。また、見ごろの花を示したマップが各庭に掲げられているので、これもまた勉強になります。
最近建てられただけあって、「新しさ」はどうしても感じられてしまいますが、元々はお屋敷があったのだと考えると、大変趣深く感じられてきます。このように史跡などの地割を生かしつつ、その上に新しい庭を造るという趣向は、日本各地の歴史的な名所の可能性を高めるものかもしれないと思いました。




















カルミアツツジ科)



ムラサキセンダイハギ(マメ科



スイレンスイレン科)



姫路市の市蝶に指定されているジャコウアゲハ。このチョウの蛹は「お菊虫」と呼ばれるのですが、これは各地に残る怪談「皿屋敷」の「お菊」に由来しています。1795年に、姫路城下に後ろ手に縛られた女性のような姿をした虫の蛹が大発生し、城下の人々は「昔姫路城で殺されたお菊の幽霊が、虫の姿を借りてこの世に帰ってきているのだ」と噂したことに因んでいます。戦前まではお菊虫を姫路城の天守閣やお菊神社でも売っていたようです。しかし、現在姫路市内で観察されることは少なくなっているようです。



ガクアジサイかな(アジサイ科)



御幸通り
懐かしのみゆき通り。小中と姫路の塾に通っていたので、この通りは幾度となく通いました。なぜか本当に久しぶりな気がします。こんなだったかな?? 当時から背が伸びて視界が変ったせいでしょうか。都会のもっと人通りの多い通りを見てきたからでしょうか。



当時から変っていないところ、変ってしまったところ、色々あって、驚きの連続でした。このイノシシのフィギュアは、当時のままですね。



御溝筋
みゆき通りの人通りの多さを避けたいときは、こっちの筋を通ったりしました。意外と、オシャレなレストランやカフェが増えていました。