環境倫理と環境倫理学の違い

なぜ環境問題の解決には倫理学的考察が必要なのか、考えてみました。


まず、環境問題というものは、実証的に事実関係の解明をすれば解決できるとは考えられません。なぜなら、そこには、さまざまな主張がからんでいるからです。それらの根拠を探っていく必要があると思います。


何かの環境問題について議論する場合、「倫理(観)」と「倫理学」の違いを明確にしたほうが、混乱を招きにくいような気がしています。


したがって、「(独自の)倫理観を身につける」というのと、「倫理学的考察能力を身につける」というのはずいぶんと意味が異なります。いずれも大切と思われますが、前者は個人の主観的な心の問題であるのに対して、後者は環境問題解決のための客観的で有効なツールとなるはずです。


それぞれの用語について、自分なりに定義してみました。


環境倫理(観)」とは、「環境に関する主張(行動・運動も含む)の判断根拠となっている原理のこと」。その判断根拠には、経済的価値観、狭義の自然科学的知識(生物学、生態学、動物学)、道徳、法律、宗教、哲学、生命観、文化、習俗、霊感、愛情、畏敬の念など、人によってさまざまなものが含まれ、その割合、程度も異なっていることを前提とする。


一方、「環境倫理学」とは、「環境に関する主張(行動・運動)が拠って立つ原理(倫理観)とそこから展開している論理の構造を明晰なかたちとして取り出そうと試みる理論的考察のこと」。


前者を「個々人の主観的原理」、後者を「それらに対する俯瞰的考察」と言い換えてもいいかもしれません。


環境問題というものは、生態系それ自体が複雑なシステム(事実相互の因果関係)であるのに加えて、さまざまな倫理観が錯綜し、いくつもの対立が生じています。これに対して、できる限り的確な見通しを得ようと思えば、さまざまな分野の科学(自然科学、政治・経済・法などの社会科学、宗教・民族学などの人文科学)による解明と提言が、信頼度の高い判断根拠になるのは確かだと思います。倫理的判断は、実証的な(科学的な)研究に裏づけられれば成果が期待できるし、説得力をもつものと思われます。


しかし、そもそも、これらの実証的な(科学的な)研究は、「実現すべき目的とは何か」、「なにをなすべきか」という問いだけを独立してとりあげることはまずないと思われます。


つまり、それらの倫理的判断を考察することを課題とするのが、「環境倫理学」というわけです。