動物と人間の世界認識 / 日高敏隆 (2003年)

動物と人間の世界認識


★目次
イリュージョンとは何か
ネコたちの認識する世界
ユクスキュルの環世界
木の葉と光
音と動きがつくる世界
人間の古典におけるイリュージョン
状況によるイリュージョンのちがい
科学に裏づけられたイリュージョン
知覚の枠と世界
人間の概念的イリュージョン
輪廻の「思想」
イリュージョンなしに世界は認識できない
われわれは何をしているのか


日高敏隆さんの訃報を数日前にニュースで知りました。


自分の大学院時代の指導教官の師匠でもあられる方ですが、直接はお話はしたことがありませんでした。雲の上の存在です。


たくさんある著作の中でも、個人的には「動物と人間の世界認識」をいま改めて思い出したいです。ただし手元には本書はないので、断片的な記憶を辿るばかりです。翻訳書ユクスキュルの『生物から見た世界 (岩波文庫)』もとても面白く、当時相当に興奮した記憶があります。いまでも「環境」について考える場合、このものごとの見方は重要だと思っています。


本書のキーワードの一つとして、「イリュージョン」があります。人間も含め動物というものは、独自の世界観、すなわち、さまざまな幻想(イリュージョン)を持ち、さまざまな生き方をしています。環境の中のいくつかのものを抽出し、それに意味を与えて自らの世界認識を持ち、その世界の中で生き、行動していると述べられています。著者の云う「イリュージョン」とは、幻覚、幻影、幻想、錯覚などすべてを含みうる可能性を持ち、さらに世界を認知し構築する手だてという意味です。


実際に僕らも生活していて、この「イリュージョン」というものを感じることがあります。例えば、植物の名前や生態についてがそうかもしれません。例えば、寒椿という植物について科学的知見を得たとします。学名も含め、いつ咲くか、どのような色の花か、葉っぱどのような形で硬さはどうかなどの形態や生態面を理解したとします.そうすると、この花は今までも庭や公園の脇に存在していたはずなのですが、この知識(イリュージョン)を得ることにより、この花は急に自分の目の前に存在するようになり、今までより一層引き立って見えてきます。現実に存在しているものが、人間のとらえ方次第で、出現したり、あるいは逆に消失してしまったりすることもありえます。


本書の最後に著者が言及している部分が印象深いです。お人柄が表れているような、そんな気がします。

”学者、研究者を含めてわれわれは何をしているのだと問われたら、答えは一つしかないような気がする。それは何かを探って考えて新しいイリュージョンを得ることを楽しんでいるのだということだ。「・・・」人間はこういうことを楽しんでしまう不思議な動物なのだ。それに経済的価値があろうとなかろうと人間が心身ともに元気で生きていくためには、こういう喜びが不可欠なのである。”