閉塞感のある社会で生きたいように生きる/シューレ大学編(2010年)

閉塞感のある社会で生きたいように生きる


★目次
第1章 シューレ大学を創ること、シューレ大学の学生であること
第2章 「私からはじまる」ってどういうこと?
第3章 私からはじまる研究
第4章 「自分研究」論文
第5章 私からはじまる表現
第6章 自分の生き方をつくる


★この本は、森岡正博氏のブログで紹介されていたので興味を持ちました。「私の生命学の問題意識でもあったが、それに通底するものを感じる。」とのことです。


シューレ大学とは、日本のフリースクールの草分けである東京シューレを母体としています。今年で10周年を向かえます。入試もなく、在学年数も自由とのことです。公的資金私学助成金によって支えられている国公立・私立大学とは違い、この大学の学生たちは、主として学生からの学費で支えられていますが、予算が足りない場合は、助成金の公募を調べ応募したり、自分たちでプレゼンテーションして助成金を得たり、企業を訪問して物品を寄付してもらうそうです。


ただ、シューレ大学は文科省認定の大学ではないため、大学卒の資格は得られないとのこと。18歳以上が入学資格ですが、小一で学校に行かなくなった人から、大学を卒業してから入学する人までいるようです。


この大学は自分たちで創る大学でカリキュラムを自分個々に作るだけでなく講座も自分たちで創っている模様です。ここでは、学生はよく話し合うことが基本にあり、普段から自分たちが話したいことを三時間かけてじっくり話しているとのこと。自分と相手を大事にすることが、お互いの話をできるだけ丁寧に話したり聞いたりすることにつながっている様子です。


シューレ大学の学生とスタッフには、力強い応援団が存在しているというのもひとつの特徴です。50人くらいアドバイザーがいるそうです。例えば、評論家の芹沢俊介、思想家の最首悟、映画監督の原一男、人権活動家の辛淑玉(シンスゴ)、ルポライター鎌田慧、劇作家の平田オリザ社会学者の上野千鶴子、マルチメディアプロデューサーの羽仁未央など(敬称略)。


シューレ大学の学生は、「私たちは、どのように生きていけるのか」、「どのような生き方があるのか」という切実な思いが強いとのこと。「生き方創造コース」には最も参加者が多いらしく、各人は自分の価値観をつくることに取り組み、「自分の生き方を自らの手で創る」という意識が高いようです。


本書は、シューレ大学の公開イベントのタイトルとして考えられたものであり、その根底には、「自分であること」の難しさが横たわっていると書かれています。現代社会の若者が抱えている問題をも示唆しているのかもしれません。


本書には、シューレ大学で実際に考え研究してきた学生の経験をもとに、自らが自分とは、何か、シューレ大学とは何かを考え、どう生きたいと考えているのが綴られています。


一般の科学論文や評論とは違い、ここには「私」そのものが存在しているように思われます。どの文章も読んでいくうちに、自身の「私」について考えさせられるような気持ちになりました。心に残った文章を抜き出してみたいと思います。

例えば何か大きな問題や事件が起きたとき、誰の責任かと問うことを想像するのだ。[・・・] 自分は知りません、関係ありません、といろんなことに無関心でいたくなる。そうして私は生きている感覚を自分から手放して、その方が楽だ、その方が自由だと思うのである。その時私は思うのだ。その問題に関わっているそれぞれの人が自分の心に問うことを許され、少しでも自分の内面の声を聞くことに集中したらどうなのだろうと。物事が進むスピードは、とても遅くなってしまうだろうけど、他人も自分もなるべき大切に進む一歩の幅は、大きく深くなるのではないだろうか。―松川明日美さん


しかしそんな私を最後のところでつなぎ止めてくれるのがほかでもない「研究」である。つまりは最後の砦なのだ。根底の部分でそれを痛感しているからこそ、私もまたどんな卑屈な状態にあっても、必死で研究だけは手放さなかろうとするのだろう。それは結果として自分を手放さないですむと思っているからだ。―平井渚さん


僕にとって働くことは自分を殺すことだ。この研究ではそれを変えたかった。なにより自分自身の中で。ワーカーズコレクティブにおいて働くことは喜びであることに、僕は衝動を受けた。ワーカーズコレクティブという働き方をしたいのではない。僕はただ、毎日を喜びで満たしたいのだ。もちろん、どんなことをやっていても傷ついたりするし、苦しいことだってある。だけど、そういった傷や苦しみも納得して引き受けたいのだ。―長井岳さん


分かってほしいのは、理論としての「不登校の理解」なのではなく、目の前で苦しんでいる子どもから発せられる「分かってほしい」思いを感じ、共に向き合っていくことなのである。そこには、社会にはびこる「学校復帰」や「社会復帰」などの価値観とは違った、人間としての基本的な関係、本来の親子の関係があるのではないだろうか。決して、親自身の人生のひっくり返し、反省し、とらえ直すことができなくとも、子どもの場所を確保し認めることができればいいのだと考えるのである。―須永祐慈さん


絵を描くことは自分自身と向き合うことであるが、同時に他者と向き合うことでもある。自分や他者と向き合うということは世界と向き合うということであり、絵を描いているだけで世界とつながってしまうのだ。そして世界は宇宙で、とどんどん思いは広がっていって、私は生まれた時も、今も、孤立していなかったんだなあと気がつく。この安心感は生きるうえで必須だし、それは芸術が生きるうえで必須だということじゃないかと考える。―山本菜々子さん


逃げることは必要なことだ。だから時に逃げながら、しかしあきらめずに向かい合うところから始めたい。ここから学ぶこと、表現すること、働くことを取り戻したい。そして同じ思いを共有する人々と、生き難さを何とかしたいとあがく人々と響き合いながら「自分から始める」可能性を広げていきたい。時に転び、揺らぎ、あたふたしながら、できる範囲から少しずつでも。―信田風馬さん