生きがいについて/神谷美恵子(2004)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)


★目次
1 生きがいということば
2 生きがいを感じる心
3 生きがいを求める心
4 生きがいの対象
5 生きがいをうばい去るもの
6 生きがい喪失者の心の世界
7 新しい生きがいを求めて
8 新しい生きがいの発見
9 精神的な生きがい
10 心の世界の変革
11 現世へのもどりかた


神谷美恵子コレクションとしてみすず書房より5冊のエッセイが出ています。「生きがいについて」「人間をみつめて」「こころの旅」「遍歴」「本、そして人」です。どの本のどの部分を読んでも、一文一文に魂が宿っているようにとても瑞々しく、美しいと感じます。


これらの中でも、個人的には、「生きがいについて」の中の「心の世界の変革」の文章がとても好きです。ここでは、生きがいを失った人が、新しい生きがいを精神世界にみいだす場合に心の世界のくみかえが起こることについて、他の研究者の知見や体験記を多数交えながら文章が綴られています。いわゆる「神秘体験」、ないしは「回心」についてです。ただ、神谷さんは、普通の人にも起こりうる、平凡な心の組み換えの体験も含める意味で、「変革体験」と呼んでいます。


いくつかの研究者の知見を列挙した上で、岸本英夫氏の説を引用して、変革体験の特徴の共通点が挙げられています。それらは、1.特異な直観性 2.実体感、すなわち無限の大きさと力とを持った何者かと、直接に触れたとでも形容すべき意識 3.歓喜高揚感 4.表現の困難 です。


しかし、このような神秘体験が必ずしも生命を励ます方向に働くとは限らないことも指摘されています。


いずれにせよ、その「気づき」は、さまざまな形で現れるようで、ある者は自我の奥底に小さな自己を絶する真の自己「絶対我」として、ある場合には「声」として、ある人はもっと抽象的に「天」とか「大自然」とか「宇宙的真理」と呼ぶことがあるようです。


変革体験はただ歓喜と肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、多かれ少なかれ使命感を伴っているとも言われます。つまり生かされていることへの責任感です。いくつかの体験でもそのような事例が見られ、この種の意識では、高い次元の愛ともいうべき要素がしばしばあらわれるとのことです。カーライルのいう兄弟愛、ホワイトヘッドのいう人類愛もそれに相当するのだと言われています。このように小我から抜け出た人間が、自分も他人も同じ大きな力で生かされている者として意識する連帯感のようなものだといわれます。そういった意識は、人間だけではなく、生きとし生けるものすべてがともに感じうるものであるとまで述べられています。この感じ方は仏教のみならず、ベルクソンの思想にも見られると指摘されています。


さまざまな変革体験の特徴について述べたあと、神谷さんはこのように述べています。

結局、一時的に特異な心理的体験をするということそれだけでは、生きかた全体の上で大した意味を持ちえないのかもしれない。あるとくべつな心の境地になるということそれ自体を目標として生きることは、うっかりすると目的と手段とをすりかえることになりかねない。人間の根本的な、じみちな生存目標は、あくまでも自己の生命を誠実に、いきいきと生きぬくことであろうから。


あるひとの生涯において一回または数回、変革体験がおこったとしても、それはこの生存目標にむかっての歩みを方向づけ力づけるという役割をになっているにすぎない。歓喜と高揚の瞬間がすぎたあとにはまた忍耐と根気を要する時間がつづくのである。ブーバーのいう通り、この「瞬間」は「人生の長い道の休憩所にすぎない」のであり、人間は矛盾と葛藤のなかに身をおき、苦しみながら光を求めて生きて行くべき存在なのであろう。その時、かの「瞬間」に垣間見ることをゆるされた超越と永遠の世界は、うたがえない如実の体験としてつねにいきいきと意識の周辺にあり、行きなやみがちな現世の歩みを支えてくれるのである。


結局、人間の心のほんとうの幸福を知っているひとは、世にときめいているひとや、いわゆる幸福な人種ではない。かえって不幸なひと、悩んでいるひと、貧しいひとのほうが、人間らしい、そぼくな心を持ち、人間の持ちうる、朽ちぬよろこびを知っていることが多いのだ―。


こうして過去の体験からも、彼の持つ価値体系はいわばひとりでにすっかり変わって来て、さかさまにさえなってくる。以前大切だと思っていたことが大切でなくなり、ひとが大したことだと思わないことが大事になってくる。これは外側から来た教えによることではなく、また禁欲や精進の結果でもなく、すっかり変わってしまった心の世界に生きるひとから、自然に流れ出てくるものと思われる。