肉食の思想ーヨーロッパ精神の再発見 / 鯖田豊之(1966年)

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))


★ヨーロッパの肉食率が高かったのは、家畜飼育の容易な牧草適地だったからです。一年を通じた小雨・寒冷な気候の影響で、自然に生える草本類が家畜飼料にならないほど徒長するのを防ぎます。19世紀の農業革命が起こるまでは、もっぱら三圃制農法が行われてきました。これは、作物耕作地、牧畜地、休耕地をローテーションさせることで、地力が衰えるのを防ぐやりかたです。ヨーロッパの農業とは、牧畜と麦作を含む広い概念です。しかも、個々の農家がバラバラにやったのでは、あまり効果がないために、各農家がお互いに協定して、ある一定区域内の畑には同じ作物を栽培し、休耕期にはいっせいに家畜を共同放牧するといった能率の良いやり方が実践されてきました。


食事に目を向けてみると、主食と副食の区別がありません。麦類が十分に栽培することができなかったことに起因します。日本人の食事が欧米化していると言っても、主食は米かパン、副食にステーキなどの肉類といったように、主と副の区別が維持されているという意味では、完全な欧米化ではありません。中世までのヨーロッパでは、家畜飼育と人間の生活は切っても切りはなせない関係でした。家畜動物を食べなければならない行きていけないという事情と、日常的に動物の命を奪うという罪悪感のジレンマをどう乗り越えたかたかと言えば、人はキリスト教のという宗教を産み出し、動物は神様が人間が食べるために与えてくださったという思想を持ちます。人間と動物の間に線引きをすることで、動物愛護と動物支配を両立させてきました。


人間と動物の断絶は、ヨーロッパ社会にいたるところに影響していきます。例えば、結婚の際には、教会が夫婦に対して許可を与えたり、親等制度により近親相姦を禁止をしたりするなど、人間の性に対して社会的意義を与え、動物的な本能による交わりとの峻別を試みます。人間と動物との断絶は、階級制度も産み出します。フランス革命が起こるまでのフランスでは、支配社階級(僧侶・貴族)の割合は、全人口の0.5%ではありましたが、被支配階級の人々との生活のレベルは比べようにならないほどのものでした。ヨーロッパの身分制はほぼ完全な横割りでした。フランス革命後も、ヨーロッパ人の意識の底には「階級意識」が横たわることとなります。それが、後に共産主義への動きにもつながっていきます。


ヨーロッパでは、パンはぜいたくな食べ物です。もともと地力が弱い土地での麦類の栽培ですから収量も少なく、麦は粒のままではコメと違って蒸すだけでは美味しく炊きあがらないですし、消化吸収率がよくないです。したがって、粒ではなく粉にした後、発酵・成形・窯焼きといったように、加工の手間がかかります。コメの調理が各家庭の中でできたのに対して、パンの製造は加工業者・流通業者といった職業の人に依存せざるをえなかったようです。このことによって、村落の共同意識も高まりました。「村」といっても家族の単位の単純な拡大ではなく、さまざまな家族・職業・身分の共同体です。この共同体意識が、ヨーロッパの「社会意識」の根底に横たわる事になります。村で形成された社会意識が次は都市で定着するようになります。さまざまなところから集まって来た人間をまとめあがるために、都市では都市全体が秩序を保つために、個人がいろんな制度によって束縛されました。この制度に土台となっているのが、階級制度であったり、宗教でした。中世のヨーロッパの街並に統一感があるのも、こういった共同体意識の結果とも言えます。逆に言えば、他者を排除する意識にも繋がっていましたし、市民同士の間でも「おせっかい」といえるくらいに、隣近所との違いにも敏感であったとも言えます。個人や家族の私生活は干渉されていました。


こういった歴史的背景の踏まえた上で、「平等」と「自由」について考えるとどうなるだろうかというのが著者の強調したい点です。伝統的に「階層意識」と「社会意識」という重圧の下でかんじがらめにされてきた個人が、解放を求めたのは伝統意識に対する反動だったといえないでしょうか。それを後押ししたのが、都市人口の増大や農業革命だったのです。人々は、初等教育を受ける権利を主張し、公立学校の無償化を求めます。「自力救済権」を訴え、武器の所持する権利を求めます。「階層意識」と「社会意識」の発生には、肉食の事情があり、放牧畜の背景には、ヨーロッパの特有の気候と土地といった環境がありました。


ヨーロッパは以上のように、伝統思想に対する反逆と妥協の中で、民主主義を定着していったことがわかります。近代史は、階層意識、社会意識、個人意識が三つ巴になってお互いをチェックする過程であったとも言えます。


日本は欧米に文化をいろいろな面で模倣しようとしてきましたが、そっくりそのまま輸入できるものと、できないものがあったのも事実です。個人の権利や平等の概念といった精神的な文化は、本質的に日本に定着したのでしょうか。かつてキリスト教が日本に根付かなかったように、思想を輸入し、定着させることは可能でしょうか。その思想が生まれ・定着するまでの背景のことを知ると、外見は真似できても、中身は真似するのは難しいのではと感じます。