1Q84 BOOK1-3 / 村上春樹(2009-2010年)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)


1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)


1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉前編 (新潮文庫)1Q84 BOOK3〈10月‐12月〉後編 (新潮文庫)


★いままでの長編小説とは違うとこと、似通ったところ、それぞれありました。似通ったモチーフはもちろん細かい事を挙げればたくさんあるかもしれませんが、まず「ねじまき鳥クロニクル」でも出て来た、空井戸を降りて底でこもっていると、別の世界との関係が持てるということです。この小説でも、高速道路の非常階段を降りたことで、知らぬ間に別の世界に入り込んでいることになりました。


主人公たちが、過去に何らかのトラウマのようなものを抱えていて、日常ではあまり積極的に自分の内面をさらけ出さず、閉鎖的な人物として描かれる点は、過去の小説でもみられることでした。多くの場合、過去の非日常的な出来事をコアにするかのように、その人物たちは自分の人格に鎧を装着するかのように、筋肉を鍛えたり、特定の学問分野に固執したり、独自の性観念を持ち続けたりと、日常のパターンを徹底して固定化していく傾向があります。過去のトラウマを徹底した規則的生活によって覆い隠すような感じです。


いままでとは違うところは、青豆と天吾という過去に一度だけ手を触れ合った男女が、最終的には結ばれるという点です。性行為というもの自体は、春樹特有の精緻な描写がなされることは多分にあったわけですが、それぞれの人生が、深層の心理の同士が接点を持つという物語は、今回のように着実に一歩一歩近づくような展開で描かれるということはなかったように思います。そして、懐胎という「生命の誕生」を描くという事も、少なくとも長編小説ではなかったように記憶しています。


それぞれの登場人物の行動は、何かを示唆しているように思います。そして多様な解釈が生まれるということも、村上春樹の小説の面白さだと思います。例えば、天吾が病床に伏して昏睡状態にある父(生物学的に父かどうか天吾は不安を抱えている)に対して、自分のことを語り、そして小説を音読したりします。何の反応も返ってこないのですが、天吾は心の平静を得たような気持ちになります。これは仏壇の前や、教会といった宗教的空間で行われる反省や告白という行為を想起させます。


青豆は、新興宗教を敬虔に信じる家庭の育っているのですが、少女時代の彼女に影を落とす結果となります。しかし、最後まで神様へのお祈りの言葉は忘れることなく、窮地に立たされると無意識にその言葉を唱えてしまいます。幼少期の経験というのは大きいということでしょうか。


メインキャラクターだと思われていた深田絵里子(ふかえり)という少女は、もちろんかなり重要な位置を占めているのですが、徐々に存在感がなくてっていきます。何かの象徴だったのかもしれません。同じように、「柳屋敷」で保護されているつばさという十歳の少女も突如姿を消します。


BOOK3から青豆と天吾にちゃっかりと入り込んでくる中年男性の牛河、不協和音の原因の何者でもないのですが、意図していなかったことでしょうが、青豆と天吾をひきあわせるつなぎ部分のような役割になります。牛河は自分の容姿が他の兄弟や両親をかけ離れて醜いということにコンプレックスを感じています。一方でその反骨精神が今の自分を気づき上げたという自負心もあり、ルサンチマンが強い人物として描かれています。


まるで滞りなく流れる高速道路の流れのごとく、日常の流れに乗り遅れないように生きているというのが、大多数の人の生き方であるでしょうし、青豆も天吾そうでした。しかし、交通渋滞に巻き込まれたときに、それは人生の非日常の出来事(他人の死とか)に出くわした時に、時間はとまるのかもしれません。流れがとまると、自分の周りの物事が違って見えてくる。特に、青豆は自分の記憶をたどろうとする意識が芽生えました。


今回の小説には、家庭内暴力という言葉もしばしば現れます。夫の妻に対する暴力です。そして、家庭内の夫の残忍さは、外の世間には一切現れないということも描かれています。妻は自分の自責の念が強くだけのようにも描かれています。家庭の中であったり、組織の中であったり、外部へは漏れでないように隠蔽されるという仕組みがあることを示唆しているように思います。


ときには人は、規則から外れることが必要ではないかと感じました。日常に何の問題もないのであれば、日常に埋没することも構わないかもしれませんが、この小説で描かれるような青豆と天吾といった過去のトラウマを抱え込んでいる人なら、閉じた世界から抜け出すきっかけを活かすことも必要ではないかと思います。