Books: Yoga Sutras of Patanjali / Mukunda Stiles (2002)

 

クリヤヨーガをはじめて3年くらいになります。毎朝・毎晩しております。おかげで、蓮華座で1時間瞑想できるようになりました。食事も変わってきました。プラーナヤーマとスーリャナマスカーラを基本にしたデイリープラクティスです。

ヨガをする人は誰でも読んでいるのが、「ヨガスートラ」というインドの聖人パタンジャリが記した経典です。こちらも日本語訳は無数に出ております。本書は、格言(詩句)ごとの英訳とサンスクリット語の音をアルファベットに転写したものです。解説は載っていません。著者が、Mukundaということで本書を選んだのもあります。 

最近読んだ箇所で印象に残っているのは、感覚を引き込む(プラティヤーハーラ)のくだりです。

2章第54詩句 Sva viṣayā-samprayogē chitta-swaroopānukāra iva indriyāṇāṃ pratyāhāraḥ ǀ (スヴァ・ヴィシャヤー・サムプラヨゲー・チッタ・スワルーパーヌカーラ・イヴァ・インドリヤーナーム・プラティヤーハーラハ)
意味:感覚が世俗的な物体への傾倒を放棄し、マインドに溶け込むとき、それは感覚の引き込みと呼ばれる(プラティヤーハーラpratyāhāra)。言い換えれば、感覚は弱まり、収縮し、マインドに融合しなおす。そうすると、マインドは揺らぐ性質を放棄し、生命の力に溶け込む。感覚は、自らが無力化したことを感じると、マインドの中に避難を求める。マインドが安定にともない、感覚は弱まる。


感覚器官には、目、耳、鼻、皮膚、舌があります。感覚器官だけでは、感覚は成り立たず、感覚の入り口にすぎません。マインドには、(情報などを)処理するための意識(マナスmanas)、識別のための意識(ブッディbuddhi)、自我意識(アハンカラahamkara)、チッタchitta(記憶の貯蔵庫)の4つから構成されます。感覚器を流れるエネルギーは、感覚器が媒介することで、はじめて存在が成り立ちます。

迷いというのは、感覚が外部の物事に気を取られている、あるいは偏っている状態のことでしょう。マインド(意識・識別能力・自我意識・記憶)は、感覚の八方美人な動きにつられて、揺らいでしまいます。エネルギーは本来、真の自己に向かうべきところを、日常生活を送り、知らぬ間に、逆の方向にエネルギーが発散されてしまいます。感覚やマインドは、外界との内面との境界にあり、内外をつなぐ役割があるため、周囲や環境の影響を受けやすいのです。クリヤ・ヨーガは、感覚エネルギーの無駄な発散と、それにともなうマインド(心や意識)の動揺を鎮める行為と考えられます。