Study: 三木露風生家・碧川かた

龍野旧城下町の散策がてら、詩人の三木露風の生家を訪れました。童謡「赤とんぼ」の作詞を手がけたことでも有名です。

三木露風(本名:三木操)は、龍野中学校(現・兵庫県立龍野高等学校)で1年学んだのち後、中退して上京。早稲田大学および慶應義塾大学で学びました。北海道上磯町(現・北斗市)のトラピスト修道院で文学講師を務める間、カトリックの洗礼を受けクリスチャンになります。後に、キリスト教の信仰に基づく詩集や著作物が認められ、バチカンからキリスト教聖騎士の称号を授与されています。

「赤とんぼ」の歌詞は、三木露風1921年に、故郷である龍野町で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれ、『樫の実』に最初に発表した詩が元になっています。この詩に、山田耕筰が曲をつけました。幼くして(露風6歳)、実母「碧川かた」と離れ離れになり、母を思う気持ちを、幼い頃に一緒に赤とんぼを見た姿と重ね合わせて詩にしたと言われます。碧川かたという人は、とても素晴らしい人格者であり、またそれゆえに波乱の人生を歩まれた人でもあったようです。三木節次郎との間に二児をもうけますが、離婚。その後、東京帝大の看護婦の草分けとなります。ジャーナリストの碧川企救男と知り合い、東大在職七年の後に北海道小樽で再婚しました。熱心なクリスチャンとなり、1962年には婦人参政権獲得運動を志し、議会運動に立ちました。

地元龍野では、碧川かたをNHK朝の連ドラで描いて欲しいとの声が高まっているようです。

龍野高校は、自分の母校でもあるので、このように偉人の方々の人生を知ると、何かの励みになります。

『赤とんぼ』
夕焼、小焼の、
あかとんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。
山の畑の、
桑の実を、
小籠(こかご)に、つんだは、
まぼろしか。
十五で、姐(ねえ)やは、
嫁にゆき、
お里の、たよりも、
たえはてた。
夕やけ、小やけの、
赤とんぼ。
とまっているよ、
竿の先。

 

 

 
 
 
 
 
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