Books: 恥知らずのパープルヘイズ / 荒木飛呂彦、上遠野浩平(2022)

 

ジョジョのキャラで個人的に一番のお気に入りは、ホル・ホースだったりするのですが、ホル・ホースとは、第3部「スターダストクルセイダーズ」で、DIO配下のスタンド使いで、エンヤ婆が送り込んだ7人の刺客の1人です。

ホル・ホースは、コミカルなキャラで描かれますが、実際は、自身のスタンドがそこまで強力ではないことから「誰かとコンビを組んではじめて実力を発揮するタイプ」と自認しており、それは『一番よりNo.2』という彼の人生哲学となっており、自分の能力をわきまえているという意味では、なかなか大人な人物です。スーパーヒーローになりたがる敵キャラばかりの中で、『協調性』というスキルを持つ男です。ゆえに、敵であるはずのポルナレフに助けを求めたり、主であるDIOの暗殺を試みる等、型破りな行動を見られるので、スリリングな一面が物語を面白くしていました。

それに対して、第3部の最終場面では、ヴァニラ・アイスというDIOに対して非常に強い忠誠を誓った敵キャラ(準ボス)がいました。DIOがヴァニラの血を求めた際は自ら首を切断して血を捧げようとしたほどの身も心も捧げる系のキャラです。

ジョジョの物語では、DIOに対する態度一つ取ってもみても、様々です。

ホル・ホースなんかは、あわよくばDIOを暗殺して、こんな陰気な暗い部屋を出て、好きなことしたいと思っていたのかも知れません。「場合によっては、裏切る」という流れや空気を読んだ上での知的なホル・ホースの行動かも知れません。カメレオンみたいな人間ですね。要領がいいです。

ヴァニラ・アイスは、忠誠心や崇拝を象徴するキャラの典型でしょう。もうすでに身も心も捧げているので、何を言われようが、何でもやるつもりだったでしょう。どこまでも(黒く)純粋で、漆黒のような人間です(吸血鬼ですが)。

第6部の「ストーンオーシャン」のエンリコ・プッチ神父は、元々は純粋な心を持つ少年だったのでしょうけど、修行時代(推定12~15歳頃)にDIOと出会い、彼をかくまったお礼として生まれつき変形していた左足の指を元通りに治してくれたことを、神の奇跡と思ったのか、DIOを親友として考えるようになり、その思想も深く、壮大になってゆきます。忠誠心とも言えますが、元々の純粋さゆえに「信じてしまった」のでしょう。彼は、両性具有的なニュアンスも見てとれますが。

このように仲間やボスに対する態度も様々で、「裏切り行為」の存在が物語の展開と人間関係を複雑化させており、しかし、単純に「裏切り者=悪」と割り切ってしまえないところが、荒木漫画の面白いところです。結構、「大人」な漫画なのですね。

第5部「黄金の風」の続編として小説が出ています。企画版なので、公式な物語ではないとされます。漫画やアニメとの整合性が取れない部分もあります。

主人公ジョルノ・ジョバーナやブチャラティの仲間の一人パンナコッタ・フーゴは、もともとはブチャラティ達を裏切る役どころとして描かれる予定でしたが、作者が暗い展開になるのを避けたことから、やむを得ず離脱という方針を採ったためです。

宮昌太朗大塚ギチ著の「ジョジョの奇妙な冒険 2 ゴールデンハート/ゴールデンリング」(2001年)においては、ブチャラティ達別れた直後のフーゴパッショーネに従いながら、組織とかつての仲間を裏切らない道の選択をする姿が描かれています。

そして、本書は、さらにそこから半年後の物語です。「裏切り」といいつつも、かなり迷いを抱えた、罪悪感のある裏切りです。離脱と言った方がいいでしょうか。

シチリアの空はどこまでも青く吸い込まれそうだけれども、人々は、その美しすぎる空から目を背けるように暮らしていると作者は表現しています。シチリアという歴史上何度も侵略・征服され続けた島国特有の閉鎖的な土地柄のせいもあるかも知れないが、あまりにも美しい空は、人を落ち着かなくさせ、不安にさえするのかも知れない。と表現しています。

確かに、人に例えるなら、一つも欠点のない人間や非の打ちどころのない人間を目の前にすると、多くの人は近寄り難いと感じるでしょう。讃美や敬意を表するとしても、お友達にはなりにくいかも知れません。「敬して遠ざける」ですね。

多分、荒木漫画やそこから派生する小説が多くの読者の共感を得るのは、そういったところではないでしょうか。これは、ドラマや映画など物語など創作物全てに言えることかも知れません。荒木漫画は王道なんですね。

その意味では、フーゴは、他の仲間とは違い、天才肌で10代半ばで達観していたところがありました。他の仲間がもがきながら、泥臭く難敵と戦いながらも少しずつ成長する中で、フーゴはそのスタンドの性質上からか、一緒に成長するというよりも、すでに完成していた感がありました。

ブチャラティたちと一緒に組織のボスを倒す決意ができなかったのは、単なる裏切りでもなく、ヴァニラアイスのようなボスへの忠誠心でもなく、ホルホースのような計算高さでもなく、フーゴが年齢の割に他の少年たちと比べてオマセだったせいだと、私は解釈しています。無邪気で向こうみずな「少年の心」を失っていたのかも知れません。あるいは、自分の母へのコンプレックスからなのか、ボスの娘のトリッシュのために尽力する気にならなかったかです。

しかし、物語は彼を逃してくれませんでした。小説では、様々な試練が与えられています。フーゴは、なぜ自分はあの時ボートに乗ってみんなと一緒にボスを倒しに行かなかったのかと、幾度となく自分を責めたり、居直ったりして煩悶を続けます。あの時が彼の人生の分岐点でした。あの時、現実的に考えた結果が、今となっては、それほど現実的ではなかったように思え、疑心暗鬼になります。常に正解を選んでいるつもりでも、世界や社会はそれほど甘くないということです。結果的に、仲間を裏切ったことによる罪の意識となり、フーゴにとっての一種のコンプレックスになります。

一方で、タイトルは「恥知らずのパープルヘイズ」ですが、恥について語られる場面があります。ムーロロという今回フーゴの護衛をする見方キャラがいるのですが、彼は漫画では敵味方どちらにも情報を渡してしまう、物事を複雑にしてしまうタイプとして描かれていましたが、小説では、ジョルノ・ジョバーナに自分のそういう薄っぺらな根性が全て見透かされて猛烈な羞恥心が芽生えたことを告白します。いわゆる恥の概念によって、今の自分は突き動かされていると語ります。

「恥知らずではあるが、裏切りによる罪の意識に苛まれるフーゴ」と「裏切りによる罪の意識は感じないが、恥の感覚に駆動されるムーロロ」。罪と恥の意識の対比も、また考えさせられるテーマです。

イタリア人のイメージは、明るく陽気で、リップサービスに富み、グルメなイメージです。しかし、この小説の舞台であるシチリアでは、その正反対の側面にフォーカスしています。シチリアには、仲間のために沈黙を守ることが至上の価値がある考えがあるといいます。

恥の意識も罪の意識も人間関係の中で生まれるものであり、相手次第ではそれは変化する捉えどころのないものです。それに対して、シチリアの青空は曇りなく透き通り、沈黙しています。

太陽は眩しすぎるが故に、その影もくっきりと浮かび上がる。青空が正義を象徴するなら、影は人間に罪の意識や恥の意識でしょうか。日陰に入ってしまえば、自分の影がわからなくなる。

あるいは青空に浮かぶ太陽は神の視線であり、他者の視点でしょうか。

あれこれと色々なことに手を出しては失敗するよりも、これと決めた信念を心に秘めて、世の中に溢れ返っている無責任な他人達にどんなことを言われてもそれに対して沈黙し、魂の奥にある輝きを守り抜く、それが、ひとつの教訓でもあるかも知れません。

正義には沈黙を、影がいくつも浮き彫りになってもあたふたせず沈黙を守ることが、自分や仲間を守る一番の手段なのかもしれません。