Books: 再考・柳田國男と民俗学 / 播磨学研究所(1994)

 

 

柳田國男は日常の「ケ」に対して「ハレ」のカテゴリーを対比させました。「ケ」は日常、「ハレ」は祭りです。我々の生活では、この「ケ」と「ハレ」とがうまくリズムをとって繰り返しています。
民俗学者・櫻井徳太郎は、柳田の「ハレ」と「ケ」のサイクルの重要性を踏まえつつ、さらに祭りが担う「ケガレ」の消去の機能について議論しました。
「ケ」が枯れた状態を「ケガレ」とし、例えるなら、冬至に太陽の光が薄らいで、地球がいまにも滅入ってしまいそうな状況と説明した上で、ケガレの状態に陥った人間、すなわち、意気消沈し、にっちもさっちもゆかない状態にある個人は、事態転換のため、祭りや行事を営むことによってケガレを消去し、新鮮なエネルギー獲得のため、「ハレ」空間の中に投げ込まれる必要性を論じました。
かつての日本人は、祭りを、「ケ」の空間を全部、「ハレ」の空間に変える事態転換の場として生活に位置付けていたといいます。
日本における近現代以前の祭りの本質とは、

  1. 村全体を「ケ」の居住空間から外に弾き出してしまむ。つまり精進潔斎させる。昔の人はそれを「物忌み」といい、1ヶ月も行ったという例があります。最近でも祭りの前日には御籠りのため、家族から離れて、氏神様の拝殿でひと晩過ごすという斎忌が行われる。
  2. ハレの祭りで重要なのは神事であり、一つは巫女によって巫女舞が行われる。かつては巫女は笹の葉とか榊などの青きを振って舞っていた。そうして舞がクライマックスに達すると、神がのりうつり、ついには失神する。そうすると神の声が巫女の口をついて出て、いろいろなことを予言する。稲の出来や魚のの獲れ具合、台風が来るとか、疫病が流行るとか、地震が起こるとか、そう言ったことを神がかりの中で予言する。こうった託言を元に農業・漁業などの生業の一年の計画を考えたという。
  3. ハレの祭りでは必ず降臨した神霊と氏子とが一緒に食事をするのが神儀である。これは日本の祭りでは最も重要な神事とされる。それによって活力に満ちた神妙な神の霊力が氏子に与えられた。それによってケガレ現象はストップし、生のエネルギーが賦活したと信じた。

祭りとは本来神聖な儀式であって、ただワイワイと騒げばいいというものではなかったとされます。かつての人々は、「ハレ」の舞台を設定することによって、日常生活がスムーズに機能するように工夫したといいます。日常生活の中で、それを区切るところの場を設定してやることによって、人々の萎え萎んだエネルギーが復活し、活性化し、そしてより生きがいのある人生が展開していく、と考えました。

1の精進潔斎として、家族から離れ、氏神様の拝殿でひと晩過ごすという斎忌については、「ちょうちん祭り」で有名な魚吹八幡神社の秋季例大祭では、宵宮では、平松・吉美・大江島・興濱・新在家・余子濱・垣内の7地区の青年が楼門前に高張提灯を持って集まり、それぞれの地区はお互いの提灯を激しくぶつけて潰し合い、宵宮のクライマックスを迎えます。
その後、敷村の幟・提灯・太鼓を先頭に西の馬場の御旅所に向かいます。平松・吉美・大江島は参道の東側を照らし、興濱・新在家・余子濱・垣内は西側を照らします。平松・吉美は金幣よりも早く御旅所に向かいます。

神輿担ぎ奉仕者は、厄年の氏子が奉仕をします。大江島の提灯は金幣、興濱は品陀和氣命応神天皇)の神輿、新在家は息長足比賣命(神功皇后)の神輿、余子濱は玉依比賣命(タマヨリビメ)の神輿を先導します。御旅所に到着すると所定の配置で整列し、神輿が練り終わると金幣と三基の神輿が安置される。渡神殿での神事が終了すると御旅提灯も終わります。
ここで神輿は檀尻とともに一夜を明かします。この際に、各地区の青年らの数人も一緒に一夜を過ごします。氏神様の御旅のお供をし、渡神殿で一緒にひと晩過ごすというのは、大切な神様をお守りする意味と共に、精進潔斎の意味もありそうです。

「北条節句祭り」で有名な加西市住吉神社の春季例大祭では「鶏合わせ」という神事があるため、古くからの言い伝えでは、神事に関わる人、屋台の練り子、特に御輿を担ぐ人は、鶏肉や玉子を使った製品を食することは控えるとも言われます。神事に使われる動物の神聖視と食の禁忌があることがうかがえます。