習慣は「第二の自然」

先週の日曜日に参加した哲学カフェは,大阪大学臨床哲学研究室の方々が主催しているのだけど,少しHPを見ていると,中には環境問題を研究している人もおられるということを知った.研究室の刊行物を見ると,僕にとっても興味深い論文があったので,いくつかプリントアウトして,読んでみた.
河村厚著「ディープエコロジーにおける感情の深化と「保存」について」
紀平知樹著「認識論的問題としての環境問題」
畑 英理著「自然保護の理念と「所有」という思想」
の3つである.特に,紀平さんの
ある一定の行為を,ごく当然の(自然な)こととして行わせることが習慣性の力ではないだろうか.習慣が「第二の自然」であるならば,その自然を「第一の自然」と調和させること,そのことが環境問題に対するひとつの対策となりうるのではないかと思われる.
という指摘が非常に興味深かった.
環境問題に関しては,説明を聞けば,ほとんどの人は理解できる問題だが,何をしたらいいのかがわからない人が多いのだと思う.僕の意見では,何でもいいと思っている.例えば,ゴミの分別を今まで以上に丁寧に行うとか,クルマに乗る回数を普段よりも少し減らすとか,花火やバーベキューをした後は,必ずゴミを持ち帰るとか,ほんの少し環境に対して配慮すること,そしてそれを習慣づけることから始まるのではないだろうかと思う.決して,自然を愛するとか,ナチュラリストになるとか,そういったところまで実践する必要はないと思う.非常に簡単なことを,それぞれの人が出来る範囲で,継続させれば,全体としては大きな力になってくると思う.
今の人たちは,ものごとの一部だけしか見ていないと思われることがある.例えば,花といわれれば,花びらだけしか見ていない.花が咲くと言うことは,どういうことか,花には,茎があり,根っこがあり,それを支えている土壌がある.また,光合成のために,光,二酸化炭素,水分が必要だ.あるいは,自分たちが普段出しているゴミはどこへ行っているのか?どこかで焼却されているのか?どこかにそのまま埋め立てられているのか?
「海が汚れている」「大阪は汚い」と言う人は多いが,自分自身の習慣が汚れていることを自己批判できる人はどれだけいるのだろうか.環境は,その場所に住む人の心の鏡ではないだろうか.
僕は,キャンプ,花火,バーベキュー,釣りなどのアウトドアやレジャーでも,普段の生活の場でも,人には自然を楽しむ権利があるし,悪いことだと思ったことはない.しかし,自分が自然の中で,あるいは,普段生きていて,「自分の存在」がどのくらい周りに影響していくのだろうか,逆にどれくらい周りからの恩恵を受けているのだろうかといった「問題意識」は心の片隅に置いておく必要があると思う.「楽しい」一面は,誰でも見たいものだが,「楽しいことの”前”と”後”」も見る必要があると思う.