ジャズ (トニ・モリスンコレクション) / トニ・モリスン


1993年にアメリカの黒人作家として初のノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンの6作目の作品です.トニ・モリスンは,1970年『青い眼が欲しい』で文壇にデビューし,全米批評家協会賞,アメリ芸術院賞,ピューリッツアー賞など多くの賞を受賞しており,2006年『ニューヨーク・タイムズ』により,『ビラヴド』(1988年)が過去25年間で最も偉大な小説に選ばれました.(Wikipedia参照)
ジャズという音楽は,奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人たちが,身に備わった舞踊のリズムと,欧米の古い音楽や,民謡や,労働しながら発展させた黒人霊歌やブルーズなどを統合して作り上げたものだと言われます.ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれ,大戦中歓楽街のストーリーヴィルが閉鎖されてからは,シカゴやニューヨークに移って栄えました.とくに1920年代のハーレムで最盛期を迎え,当時のコットンクラブの隆盛は世界の注目を集めました.
トム・モリスンの作品の中で僕がこの作品を手にして読んでみようと思ったのは,やはり「ジャズ」というタイトルに惹かれたからです.といっても,本書は,ジャズの解説本でも音楽史でもありません.ジャズ・ミュージシャンの名前もほとんど出てきません.どこが「ジャズ」なのかというと,全体を読んでみないとわからないと思いますが,文体がとてもリズムカルです.短い文が小刻みにテンポ良く,語られる人物へのスポットがころころと変り,観る角度が120度急変し,ある時は,過去の記憶に遡ったり,ある人の心理を推測したりと,人物にあてるスポットライトの移動が目まぐるしいです.まるでジャズ・ミュージシャンが次々にソロで即興演奏を披露していくライヴを見ているようです.
この物語の舞台は黒人達が「シティ」と呼ぶニューヨークのハーレム.主人公の3人,銃殺された少女ドーカス,ドーカスを殺した女性用化粧品販売員ジョー(50歳),そしてジョーの妻であり,葬儀の時に棺の中のドーカスに襲い掛かったヴァイオレットは,みんなこの「シティ」に憧れてやってきたのです.そしてこの3人はみんな深いトラウマを持っており正常な愛仕方ができない人間になっています.この物語はこの3人の愛憎渦巻く物語です.3人のトラウマになっている原因の多くは,白人による黒人差別の歴史です.3人とも肉親たちを惨い仕打ちで失くしています.イリノイ州イースト・セントルイスやヴァージニアの田舎は彼らにとって奴隷制の象徴であり,ニューヨークは自由の象徴として映っています.
3人は過去を振り返ります.振り返るというと語弊があるかもしれません.過去が突如として,フラッシュバックするといった方がいいかもしれません.ヴァイオレットにとっての「金髪の少年(ゴールデン・グレイ)」と「暗い井戸」,孤児のジョーにとって未だ見ない「母親」,ドーカスにとって「化粧品を売るおじさんジョー」と同年代の友達「フェリス」や「アクトン」,これらの人や場所は,この3人にとって何かの象徴であり,彼らのエスによって衝動的に求められています.
この物語はほとんどを通じて,ある中年らしい女性の語り手が語っています.この語り手は誰なのだろうかというのもこの物語の面白いところです.黒人3人の愛憎劇を冷ややかに,半ば軽蔑的にみています.しかし,最後の最後の章で,いっきにこの語り手の感情が溢れかえります.その語りを読んで,この物語をどう感じるか.それは読者にまかされていると思います.

しかし,それほど秘密ではないもう一つのことがある.一人が相手にカップと受け皿を手渡すときに指に触れる部分.電車を待っている間に,首筋にスナップをはめてやり,映画館から陽光のなかに出てきたとき,彼の青いサージのスーツから糸くずを払い除けてやる部分.
私は,彼らの大っぴらな愛を羨ましく思う.わたし自身は,秘密の愛しか知らず,ひそやかに愛を分かちあい,切望した.ああ,愛を示したいと切望した.